5.1 競馬と倍加率
第4章までは,記号の列をどれだけ短く書けるかを問うてきた.エントロピーはそこで平均符号長の下界として現れ(系 4.5.2),Shannon 符号の平均符号長がその下界から1文字ぶんの内に収まることも分かった(定理 4.4.4).本章は問いを取り替える.次に何が出るかを当てて短く書くのではなく,次に何が出るかに賭ける.賭け手の資産がどれだけ速く増えるかを測ると,その最大値がふたたびエントロピーで書ける.符号長とは縁のなさそうな量が同じ𝐻(𝑋)で決まる,というのが本章の中身である.
場面は競馬にとる.有限アルファベットXの各元が 1 頭の馬を表し,勝つ馬を𝑋と書いて,X上の分布𝑝に従うとする.馬𝑥にはオッズ𝑜(𝑥) >0がついていて,𝑥に1単位賭けて𝑥が勝ったとき手元に来るのは𝑜(𝑥)単位がすべてであり,負ければ何も来ない.掛け金1単位に対する純益で言えば𝑜(𝑥) −1単位である.
賭け手は手持ちの資産を余さず馬に配分する.資産のうち割合𝑏(𝑥)を馬𝑥に賭けるとすると∑𝑥𝑏(𝑥) =1であり,勝ち馬が𝑥なら戻ってくるのは𝑥に賭けたぶんだけだから,資産は𝑏(𝑥) 𝑜(𝑥)倍になる.ここで勝ちうる馬に𝑏(𝑥) =0としておくと,その馬が勝った瞬間に資産は0になる.資産は毎回のレースで倍率を掛けて更新されるので,一度0になれば以後どう賭けても0のままである.本章はこの破産を避けて,どの馬にも正の額を賭ける配分だけを扱う.勝つ確率が0の馬は決して勝たないのだから,そこに0を賭けても破産はしない.それでも全部の馬に正の額を課すのは,場合分けを増やさないための約束である.比例賭けを論じる主張では𝑝をすべての点で正と仮定するので,そこではこの約束は何も制限していない.
余さず配分するという約束は,現金を手元に残す選択肢を取り上げているように見える.だが∑𝑥1/𝑜(𝑥) =1であるオッズのもとでは,𝑏(𝑥) =1/𝑜(𝑥)とおけば総和が1の正の配分になり,どの馬が勝っても𝑏(𝑥) 𝑜(𝑥) =1で資産は動かない.現金を持つことがこの賭け方で再現できるので,このオッズのもとでは全額を賭けさせることは制限になっていない.一方,逆数の総和が1でないオッズでは𝑏(𝑥) =1/𝑜(𝑥)の総和が1にならず配分にならないから,この再現ができない.ただし,再現できないことと,そのせいで損をすることとは別である.逆数の総和𝐾が1より小さいときは,𝑏(𝑥) =1/(𝐾 𝑜(𝑥))とおけば総和が1の正の配分になり,どの馬が勝っても資産が1/𝐾倍になる.1/𝐾 >1だから,現金を手元に残す賭け方があったとしても,その現金のぶんをこの配分に回せば,どの馬が勝ったときの資産も下がらない.全額を配分させることが制限になりうるのは,逆数の総和が1より大きいオッズだけである.そのようなオッズは 5.3 節で扱い(例 5.3.7 では,どの配分で賭けるよりも賭けないほうが有利になる),逆数の総和が1であるほうは定義 5.3.3 で公平なオッズと呼ぶ.
定義 5.1.1(オッズと賭け金の配分). Xを有限アルファベットとする.関数𝑜 :X →ℝがすべての𝑥 ∈Xで𝑜(𝑥) >0を満たすとき,𝑜をX上の オッズ と呼ぶ.関数𝑏 :X →ℝがすべての𝑥 ∈Xで𝑏(𝑥) >0を満たし,かつ∑𝑥∈X𝑏(𝑥) =1であるとき,𝑏をX上の 賭け金の配分,短く 配分 と呼ぶ.
配分はX上の分布そのものであって,正の値だけをとるものに限ったものである.同じレースを繰り返し行い,そのつど手元の資産を全額,同じ配分で賭け直すことにする.
定義 5.1.2(資産). Xを有限アルファベット,𝑜をX上のオッズ,𝑏をX上の賭け金の配分(どちらも定義 5.1.1)とする.Xに値をとる勝ち馬の列𝑋1,𝑋2,…に対し,初期資産を1として,𝑛レース後の 資産 を
𝑆𝑛(𝑏):=𝑛∏𝑖=1𝑏(𝑋𝑖)𝑜(𝑋𝑖)で定める(𝑛 =0のときは空の積で𝑆0(𝑏) =1である).記号𝑆𝑛(𝑏)はオッズにも勝ち馬の列にも依るが,どちらも固定されているものとして書かない.
𝑆𝑛(𝑏)は1レースごとの倍率を𝑛個掛け合わせたものである.積のままでは大きさを比べにくいので,対数をとって𝑛で割り,1レースあたりの増え方に直す.定義 5.1.2 より
1𝑛log𝑆𝑛(𝑏)=1𝑛𝑛∑𝑖=1log(𝑏(𝑋𝑖)𝑜(𝑋𝑖))であり,右辺は1レースごとの量log(𝑏(𝑋𝑖)𝑜(𝑋𝑖))の相加平均である.勝ち馬が分布𝑝に従って独立に決まるなら,この相加平均は1レースぶんの期待値に近づく.そのことは 5.5 節で確かめるが,先にその期待値のほうを賭け方の良さの尺度として名づけておく.
以下,本章ではlogの底を2にとる.次に定める量は,資産が1レースあたり2の何乗の速さで増えるかを測るもので(5.5 節),そこで指数の底と対数の底をそろえておく必要があるからである.
定義 5.1.3(倍加率). Xを有限アルファベット,𝑜をX上のオッズ,𝑏をX上の賭け金の配分(どちらも定義 5.1.1),𝑝をX上の分布とする.配分𝑏の 倍加率 を
𝑊(𝑏,𝑜,𝑝):=∑𝑥∈X𝑝(𝑥)log(𝑏(𝑥)𝑜(𝑥))で定める.とくに𝑝がすべての𝑥 ∈Xで正のときは,𝑝自身が総和1の正の関数だから定義 5.1.1 の賭け金の配分であり,𝑏 =𝑝ととった配分を 比例賭け と呼ぶ.
倍加率はlog(𝑏(𝑋)𝑜(𝑋))の期待値である.1レースで資産が𝑏(𝑋)𝑜(𝑋)倍になり,その対数を分布𝑝で平均したものが𝑊(𝑏,𝑜,𝑝)なのだから,「1レースあたりに資産の対数がどれだけ増えるか」を測っている.対数をとる理由は資産が掛け算で動くことにあって,掛け算を足し算に直しておけば,𝑛レースぶんの増え方は1レースぶんの増え方の和になる.第1章 1.1 節で驚きの量に対数を選んだ理由(独立な試行で情報が足し算になること)と,同じところから来ている.
名前は資産が倍になる速さから来ている.𝑊(𝑏,𝑜,𝑝) =1とは資産の対数が1レースあたり平均して1だけ増えるということで,底を2にとったのだから,これは資産が1レースにつき2倍の速さで増えることを意味する.
例 5.1.4(公平なオッズと比例賭け). Xを有限アルファベット,𝑝をX上のすべての𝑥 ∈Xで正な分布とし,オッズを𝑜(𝑥) =1/𝑝(𝑥)ととる.勝ち馬𝑋1が分布𝑝に従うとするとき,次の三つが成り立つ.
- 比例賭けの倍加率は𝑊(𝑝,𝑜,𝑝) =0であり,勝ち馬の列がどうであっても,すべての𝑛で𝑆𝑛(𝑝) =1である.
- X上のどの賭け金の配分𝑏(定義 5.1.1)についても,1レース後の資産の期待値は𝔼[𝑆1(𝑏)] =1である.
- 勝ち馬の列がどうであってもすべての𝑛で𝑆𝑛(𝑏) =1となる配分𝑏は,比例賭けだけである.
証明.
- すべての𝑥で𝑝(𝑥) 𝑜(𝑥) =𝑝(𝑥) ⋅(1/𝑝(𝑥)) =1である.定義 5.1.3 の各項は𝑝(𝑥)log1 =0だから和も0になる.定義 5.1.2 の積も,各因子が1だから𝑆𝑛(𝑝) =1である.
- 定義 5.1.2 で𝑛 =1とすると𝑆1(𝑏) =𝑏(𝑋1) 𝑜(𝑋1)だから,𝔼[𝑆1(𝑏)] =∑𝑥𝑝(𝑥) 𝑏(𝑥) 𝑜(𝑥)である.𝑝(𝑥) 𝑜(𝑥) =1を入れると∑𝑥𝑏(𝑥)になり,定義 5.1.1 よりこれは1である.
- すべての𝑛で𝑆𝑛(𝑏) =1なら,とくに𝑛 =1ですべての𝑥について𝑏(𝑥) 𝑜(𝑥) =1である.よって𝑏(𝑥) =1/𝑜(𝑥) =𝑝(𝑥)となり,𝑏は比例賭けである.逆は 1 で見た.
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例 5.1.4 のオッズのもとでは,どの馬に賭けても掛け金と期待した戻りがちょうど釣り合っている.𝑥に賭けた1単位は,確率𝑝(𝑥)で𝑜(𝑥) =1/𝑝(𝑥)単位になって戻ってくるからである.期待値という尺度で見れば,どの配分を選んでも損得がない.それでも資産そのものが毎回きっかり1倍になるのは比例賭けだけで,配分をずらせば倍率𝑏(𝑥)𝑜(𝑥) =𝑏(𝑥)/𝑝(𝑥)は馬ごとに1から離れる.期待値には出ない差がそこにあるということで,そのずれが倍加率にどう効くかを次節で見る.オッズが真の確率からずれれば話は変わる.
例 5.1.5(一様なオッズの二頭立て). X ={1,2},𝑝(1) =0.8,𝑝(2) =0.2,𝑜(1) =𝑜(2) =2とする.比例賭けの倍加率は𝑊(𝑝,𝑜,𝑝) =0.2780…であり,一様な配分𝑏(1) =𝑏(2) =1/2の倍加率は0である.
証明. 定義 5.1.3 より𝑊(𝑝,𝑜,𝑝) =0.8log(0.8 ⋅2) +0.2log(0.2 ⋅2) =0.8log1.6 +0.2log0.4である.log1.6 =0.6780…,log0.4 = −1.3219…だから,値は0.5424… −0.2643… =0.2780…になる.一様な配分では各𝑥で𝑏(𝑥) 𝑜(𝑥) =(1/2) ⋅2 =1だから,定義 5.1.3 の各項が0で和も0である.◼
例 5.1.5 の二つの配分は,同じレースに同じオッズで賭けていながら倍加率が違う.一様な配分の倍加率は0で,比例賭けのそれは正である.この差が実際の資産の増え方としてどう効くかは 5.5 節で見る.先に決めておきたいのは,例 5.1.5 の二つに限らずすべての配分を見渡したとき,倍加率を最大にするのはどれか,である.次節がそれに答える.
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