3.3 マルコフ情報源のエントロピーレート
定理 3.2.6 はエントロピーレートの存在を保証したが,値については何も教えない.極限としてしか書けない量は,具体的な情報源に当てはめようとした途端に困る.ところが記憶の深さが有限なら,増分𝐻(𝑋𝑛 ∣𝑋𝑛)は途中から動かなくなり,極限が有限回の計算で書ける.その最も単純な場合が,記憶が 1 文字分しかないマルコフ情報源である.
定理 3.3.1. 定義 3.1.3 のマルコフ情報源で,初期分布𝜇が遷移確率𝑃の定常分布であるとする.このときエントロピーレートは
𝐻(X)=𝐻(𝑋1∣𝑋0)=−∑𝑎∈X𝜇(𝑎)∑𝑏∈X𝑃(𝑎,𝑏)log𝑃(𝑎,𝑏)である.
証明. 𝑛 ≥1を固定し,増分𝐻(𝑋𝑛 ∣𝑋𝑛)を計算する.定義 3.1.3 の分解より,Pr[𝑋𝑛 =𝑥𝑛] >0なる任意の𝑥𝑛 =(𝑥0,…,𝑥𝑛−1)に対し
Pr[𝑋𝑛=𝑏∣𝑋𝑛=𝑥𝑛]=𝜇(𝑥0)∏𝑛−1𝑖=1𝑃(𝑥𝑖−1,𝑥𝑖)⋅𝑃(𝑥𝑛−1,𝑏)𝜇(𝑥0)∏𝑛−1𝑖=1𝑃(𝑥𝑖−1,𝑥𝑖)=𝑃(𝑥𝑛−1,𝑏)である.すなわち𝑋𝑛の条件付き分布は𝑥𝑛−1だけで決まる.したがって
𝐻(𝑋𝑛∣𝑋𝑛)=∑𝑥𝑛Pr[𝑋𝑛=𝑥𝑛](−∑𝑏𝑃(𝑥𝑛−1,𝑏)log𝑃(𝑥𝑛−1,𝑏))であり,右辺の括弧の中は𝑥𝑛−1だけの関数だから,𝑥0,…,𝑥𝑛−2について和をとってしまえる.𝑋𝑛−1の分布は命題 3.1.4 の証明より𝜇だから
𝐻(𝑋𝑛∣𝑋𝑛)=−∑𝑎𝜇(𝑎)∑𝑏𝑃(𝑎,𝑏)log𝑃(𝑎,𝑏),これは𝑛に依らない.𝑛 =1の場合がちょうど𝐻(𝑋1 ∣𝑋0)である.
増分が𝑛 ≥1で定数なのだから,その極限も同じ値である.定理 3.2.6 より𝐻(X)はこの極限に等しい.◼
証明の要点は一つだけである.条件付き分布が直前の 1 文字だけで決まるので,条件を長くしても増分が増えも減りもしない.補題 3.2.4 の非増加列は,マルコフ情報源では最初の1 歩で底に着いて,あとは平らになる.𝐻(𝑋0)から𝐻(𝑋1 ∣𝑋0)への 1 歩ぶんだけが記憶の効き目で,それ以上は何も残っていない.
例 3.3.2(二状態マルコフ情報源のレート). 例 3.1.5 の情報源のレートを求める.定常分布は𝜇(0) =𝛽/(𝛼 +𝛽),𝜇(1) =𝛼/(𝛼 +𝛽)だった.状態0から出る分布は(1 −𝛼,𝛼),状態1から出る分布は(𝛽,1 −𝛽)だから,定理 3.3.1 より
𝐻(X)=𝛽𝛼+𝛽𝐻𝑏(𝛼)+𝛼𝛼+𝛽𝐻𝑏(𝛽)である(𝐻𝑏は例 1.1.2 の二値エントロピー).
典型例. 𝛼 =0.1,𝛽 =0.4とすると𝜇 =(0.8, 0.2)で,
𝐻(X)=0.8𝐻𝑏(0.1)+0.2𝐻𝑏(0.4)≈0.8×0.469+0.2×0.971≈0.569ビットである.いっぽう 1 文字だけを見たときの不確かさは𝐻(𝑋0) =𝐻𝑏(0.2) ≈0.722ビットで,記憶を使うと0.15ビットあまり下がる.
両端で確かめる. 𝛼 +𝛽 =1のとき,次の文字が1になる確率は現在の状態によらず𝛼である.つまり記憶がない.実際𝜇(1) =𝛼となり,𝛽 =1 −𝛼だから例 1.1.2 の対称性より𝐻𝑏(𝛽) =𝐻𝑏(𝛼)である.よってレートは𝛽𝐻𝑏(𝛼) +𝛼𝐻𝑏(𝛼) =𝐻𝑏(𝛼) =𝐻(𝑋0)で,i.i.d. の場合(例 3.2.2)に戻る.逆に𝛼 =𝛽 →0とすると,状態はめったに変わらない.𝜇 =(1/2,1/2)なので𝐻(𝑋0) =1ビットのままだが,レートは𝐻𝑏(𝛼) →0である.長い系列はほとんど同じ文字の繰り返しで,最初の 1 文字を除けば情報がない.
規模感. 1.1 節で,英字 26 文字が一様なら 1 文字あたりlog26 ≈4.70ビットだが,実際の英文はもっと小さいはずだと書いた.空白を入れた 27 文字を一様とすればlog27 ≈4.76ビット,文字ごとの出現頻度だけを使うと約4.0ビット,直前の1 文字を使うマルコフ情報源として測ると約3.3ビットまで下がる.ここまでは定理 3.3.1がそのまま計算できる範囲である.さらに記憶を深くしていくと,Shannon の推定では1 文字あたり1.3ビット程度に落ち着く.4.76から1.3への差(4 分の 3 近く)が,英語という情報源の「偏りと依存」のぶんである.ただし英文が定常情報源であるという保証はどこにもなく,これは英文をそう仮定して測った値である.
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