3.1 定常情報源
第2章の情報源は i.i.d. だった.つまり次に何が来るかは,それまでに何が出たかと無関係で,1 文字あたりの不確かさは最初から最後まで𝐻(𝑋)のままである.しかし現実の情報源はそうではない.英文では q のあとにほとんど u しか来ないし,日本語で「情報」と読んだあとに「量」が続く確率は,文章全体での「量」の出現率よりずっと高い.前の文字を知っていると次の文字が当てやすくなる.その効き目を測る道具は第1章にすでにある.条件付けの単調性(定理 1.2.4)が𝐻(𝑋1 ∣𝑋0) ≤𝐻(𝑋1)を与えていた.
記憶のある情報源なら「1 文字あたりの不確かさ」は𝐻(𝑋0)より小さいはずで,第2章の圧縮限界も下がるはずである.だがその「1 文字あたり」を何と定義すればよいのか.𝐻(𝑋𝑖)は𝑖ごとに違うかもしれず,𝐻(𝑋𝑖 ∣𝑋𝑖−1)も𝐻(𝑋𝑖 ∣𝑋𝑖−1,𝑋𝑖−2)も候補になる.候補を一つに絞るには,まず情報源の側に「時間が経っても性質が変わらない」という仮定を置かねばならない.それが本節の定常性である.
以下,アルファベットXは有限とし,長さ𝑛のブロックを𝑋𝑛 :=(𝑋0,…,𝑋𝑛−1)と書く(第2章の記法をそのまま引き継ぐ).本章ではlogの底を 2 にとる.第2章と同じく2𝑛𝐻の形の量を扱うので,指数と対数の底をそろえておくと式が読みやすい.
定義
定義 3.1.1(定常情報源). Xに値をとる確率変数の列𝑋0,𝑋1,𝑋2,…が 定常 であるとは,任意の𝑛 ≥1,任意のℓ ≥0,任意の𝑥0,…,𝑥𝑛−1 ∈Xに対して
Pr[𝑋0=𝑥0,…,𝑋𝑛−1=𝑥𝑛−1]=Pr[𝑋ℓ=𝑥0,…,𝑋ℓ+𝑛−1=𝑥𝑛−1]が成り立つことをいう.定常な列を 定常情報源 と呼ぶ.
定義が言っているのは,時計の針をどこに合わせても情報源が同じに見える,ということである.長さ𝑛の窓を系列の上で滑らせても,窓から見える並びの分布は動かない.個々の文字が独立である必要はまったくなく,𝑋0と𝑋1がどれだけ強く絡んでいてもよい.禁じているのは絡み方が時刻によって変わることだけである.
この仮定がなければ「1 文字あたり」を語る意味がない.たとえば𝑋0だけが一様分布で𝑋1以降がすべて定数,という列を考えると,𝐻(𝑋𝑖)は𝑖 =0とそれ以外で違う値をとる.どの𝑖の値を「1 文字あたりの不確かさ」と呼ぶべきかは決められない.定常性は,この問いを「どれでも同じ」にすることで消してしまう仮定である.
例 3.1.2(i.i.d. 情報源). 第2章の i.i.d. 情報源は定常である.実際,独立性と同分布性より両辺とも∏𝑛−1𝑖=0𝑝(𝑥𝑖)に等しい.ℓがどこであっても,掛け合わせる周辺分布は同じ𝑝だからである.
記憶のある情報源——マルコフ情報源
定常性は時間による変化を禁じただけで,記憶の有無については何も言っていない.記憶のあるもっとも単純な情報源は,次の 1 文字が直前の 1 文字だけで決まるものである.
定義 3.1.3(マルコフ情報源). 遷移確率とは,X ×X上の非負関数𝑃であって,各𝑎 ∈Xについて∑𝑏𝑃(𝑎,𝑏) =1を満たすもののことをいう.X上の分布𝜇と遷移確率𝑃に対し,任意の𝑛 ≥1と𝑥0,…,𝑥𝑛−1 ∈Xで
Pr[𝑋0=𝑥0,…,𝑋𝑛−1=𝑥𝑛−1]=𝜇(𝑥0)𝑛−1∏𝑖=1𝑃(𝑥𝑖−1,𝑥𝑖)を満たす情報源を,初期分布𝜇・遷移確率𝑃の マルコフ情報源 という.𝜇が
∑𝑎𝜇(𝑎)𝑃(𝑎,𝑏)=𝜇(𝑏)(𝑏∈X)を満たすとき,𝜇を𝑃の 定常分布 という.
第1章のマルコフ連鎖との関係. 定義 1.8.3 で「マルコフ連鎖」と呼んだのは三つの確率変数𝑋 →𝑍 →𝑌の条件付き独立のことで,遷移確率も時間も出てこなかった.ここで導入したのは時間発展する列のほうで,1.8 節で予告した意味である.二つは無関係ではない.定義 3.1.3の情報源では,任意の𝑖 ≥1について𝑋𝑖−1 →𝑋𝑖 →𝑋𝑖+1が定義 1.8.3 の意味でマルコフ連鎖をなす.直前の文字を知ってしまえば,それより前の文字は次の文字について何も語らないからである.同じ語が二つの意味をもつのは,この一致のためである.
命題 3.1.4. 定義 3.1.3 のマルコフ情報源が定常であるための必要十分条件は,初期分布𝜇が遷移確率𝑃の定常分布であることである.
証明. まず𝑋ℓの分布がすべてのℓで𝜇に等しいことを,ℓについての帰納法で示す.ℓ =0は仮定である.𝑋ℓの分布が𝜇なら,定義 3.1.3 の分解を𝑛 =ℓ +2に使って𝑥0,…,𝑥ℓ−1を和で消すと
Pr[𝑋ℓ+1=𝑏]=∑𝑎Pr[𝑋ℓ=𝑎]𝑃(𝑎,𝑏)=∑𝑎𝜇(𝑎)𝑃(𝑎,𝑏)=𝜇(𝑏)であり,最後の等号が定常分布の条件である.
次に定義 3.1.1 の等式を見る.先頭のℓ文字は,衝突を避けるため𝑦0,…,𝑦ℓ−1と書く.定義 3.1.3 の分解でこれらを和で消すと,残るのは𝑋ℓの分布とℓ以降の遷移確率だけである:
Pr[𝑋ℓ=𝑥0,…,𝑋ℓ+𝑛−1=𝑥𝑛−1]=Pr[𝑋ℓ=𝑥0]𝑛−1∏𝑖=1𝑃(𝑥𝑖−1,𝑥𝑖).前段よりPr[𝑋ℓ =𝑥0] =𝜇(𝑥0)だから,右辺はℓに依らない.ℓ =0の場合と比べれば定義 3.1.1 の等式を得る.
逆に情報源が定常だとする.定義 3.1.1 を𝑛 =1,ℓ =1に使うと𝑋1の分布は𝑋0のそれ,すなわち𝜇に等しい.いっぽう定義 3.1.3 の分解を𝑛 =2に使って𝑥0を和で消すとPr[𝑋1 =𝑏] =∑𝑎𝜇(𝑎)𝑃(𝑎,𝑏)である.二つを比べれば∑𝑎𝜇(𝑎)𝑃(𝑎,𝑏) =𝜇(𝑏),すなわち𝜇は𝑃の定常分布である.◼
命題 3.1.4 は,マルコフ情報源を定常にする初期分布の選び方は,定常分布であるというただ一つの条件に尽きる,と言っている.定常分布が存在するかどうかは別の問題で,本書では扱わない.以下でマルコフ情報源を持ち出すときは,定常分布が与えられているものとする.
例 3.1.5(二状態マルコフ情報源). X ={0,1},𝛼,𝛽 ∈(0,1)とし,遷移確率を
𝑃(0,1)=𝛼,𝑃(0,0)=1−𝛼,𝑃(1,0)=𝛽,𝑃(1,1)=1−𝛽で定める.状態0からは確率𝛼で移り,状態1からは確率𝛽で戻る,という情報源である.定常分布は
𝜇(0)=𝛽𝛼+𝛽,𝜇(1)=𝛼𝛼+𝛽である.実際
𝜇(0)(1−𝛼)+𝜇(1)𝛽=𝛽(1−𝛼)+𝛼𝛽𝛼+𝛽=𝛽𝛼+𝛽=𝜇(0)であり,もう一方の等式は全体が 1 であることから従う.
滞在時間で読む. 定常分布の比𝜇(0) :𝜇(1) =𝛽 :𝛼は,状態を出ていく確率の逆比である.出ていきにくい状態ほど長く滞在するので,その分だけ確率が集まる.
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