1.6 情報不等式(Jensen と相対エントロピー)
ここまでに現れた不等式は三つある.一様分布がエントロピーを最大化すること(定理 1.1.5),条件付けが不確かさを増やさないこと(定理 1.2.4),相互情報量の非負性(命題 1.3.2)である.いずれも𝜑(𝑡) = −𝑡log𝑡ないしlogの凹性に補題 1.1.9 を当てる,という同じ形をしていた.これらは一つの不等式の特別な場合として束ねられる.同じアルファベット上の二つの分布𝑝,𝑞に対する
𝐷(𝑝‖𝑞):=∑𝑥𝑝(𝑥)log𝑝(𝑥)𝑞(𝑥)≥0がそれで,左辺の𝐷(𝑝 ‖ 𝑞)を 相対エントロピー(KL ダイバージェンス),この不等式を情報不等式(Gibbs の不等式)と呼ぶ.相対エントロピーは「真の分布𝑝を,誤った想定𝑞で記述したときに払う符号長の超過分」と読める量で,それが負にならない(誤った想定は得をしない)というのが情報不等式の意味である.𝑞を一様分布にとれば定理 1.1.5,𝑝を同時分布・𝑞を周辺の積にとれば命題 1.3.2 が再現される.以降のデータ処理不等式・最大エントロピーもここに帰着する,本章の屋台骨である.
情報不等式
定理 1.6.1(情報不等式 / Gibbs). 同じアルファベット上の分布𝑝,𝑞について𝐷(𝑝 ‖ 𝑞) ≥0.等号は𝑝 =𝑞のとき,かつそのときに限る.
証明. まずサポートの食い違いを片づける.ある𝑥で𝑝(𝑥) >0かつ𝑞(𝑥) =0なら,その項は𝑝(𝑥)log𝑝(𝑥)0 = +∞となって𝐷(𝑝 ‖ 𝑞) = +∞ ≥0,主張は自明である(このとき𝑝 ≠𝑞なので等号も成り立たない).𝑝(𝑥) =0の項は0log0𝑞(𝑥) =0と約束し,和に寄与しない.以下,残る本質的な場合,すなわち𝑝(𝑥) >0ならば𝑞(𝑥) >0である場合を考える.
補題 1.1.7 の対数不等式log𝑡 ≤(𝑡 −1)log𝑒(等号は𝑡 =1に限る)を𝑡 =𝑞(𝑥)/𝑝(𝑥)に当てはめる.𝑝(𝑥) >0の各𝑥で
𝑝(𝑥)log𝑞(𝑥)𝑝(𝑥)≤𝑝(𝑥)(𝑞(𝑥)𝑝(𝑥)−1)log𝑒=(𝑞(𝑥)−𝑝(𝑥))log𝑒.𝑝(𝑥) =0の𝑥では左辺は約束により 0,右辺は𝑞(𝑥)log𝑒 ≥0なので,この不等式はそのまま成り立つ.よって全𝑥にわたって和をとれて,右辺は(∑𝑥𝑞(𝑥) −∑𝑥𝑝(𝑥))log𝑒 =(1 −1)log𝑒 =0.左辺は−𝐷(𝑝 ‖ 𝑞)だから,−𝐷(𝑝 ‖ 𝑞) ≤0,すなわち𝐷(𝑝 ‖ 𝑞) ≥0.
等号は,全𝑥で項別の不等式が等号になるときに限る.𝑝(𝑥) >0の点ではlog𝑡 =(𝑡 −1)log𝑒すなわち𝑞(𝑥)/𝑝(𝑥) =1,つまり𝑞(𝑥) =𝑝(𝑥).𝑝(𝑥) =0の点では左辺 0・右辺𝑞(𝑥)log𝑒で,log𝑒 >0だから𝑞(𝑥) =0,これも𝑞(𝑥) =𝑝(𝑥)である.両方を合わせて𝑝 =𝑞を得る.逆に𝑝 =𝑞なら各項が 0 で𝐷(𝑝 ‖ 𝑞) =0.◼
補題 1.1.7 ただ一つで閉じている点に注目したい.定理 1.1.5 が 補題 1.1.8 の𝜑の凹性を使ったのに対し,こちらはlogの凹性の側,すなわち 補題 1.1.6 から出した接線の形を使っている.1.1 節が証明した二つの狭義凹性が,章の二本の柱にそれぞれ効いていることになる.
符号長で読む. この量は符号長として読むのがいちばん腑に落ちる.1.1 節で見たとおり,分布𝑞を信じる人は記号𝑥におよそ−log𝑞(𝑥)文字ぶんの符号語を割り当てる(なぜそれが最適かは第2章で示す).ところが実際に𝑥が出る確率は𝑝(𝑥)なので,この人が実際に払う平均符号長は−∑𝑥𝑝(𝑥)log𝑞(𝑥)である.真の分布𝑝を知っている人が払う𝐻(𝑝) = −∑𝑥𝑝(𝑥)log𝑝(𝑥)との差をとると,
−∑𝑥𝑝(𝑥)log𝑞(𝑥)−(−∑𝑥𝑝(𝑥)log𝑝(𝑥))=∑𝑥𝑝(𝑥)log𝑝(𝑥)𝑞(𝑥)=𝐷(𝑝‖𝑞)がちょうど𝐷(𝑝 ‖ 𝑞)になる.つまり相対エントロピーは 「𝑞だと思い込んで符号化したために余計に払う符号長」 である.情報不等式𝐷(𝑝 ‖ 𝑞) ≥0は「思い込みで得をすることはない」,等号条件𝑝 =𝑞は「損をしないのは正しく知っていたときだけ」と読める.
距離ではない. 「隔たり」と呼んでいるが𝐷(𝑝 ‖ 𝑞)は距離ではない.一般に𝐷(𝑝 ‖ 𝑞)と𝐷(𝑞 ‖ 𝑝)は一致せず,三角不等式も一般には成り立たない.上の符号長の読みからすると当然で,「𝑝が真で𝑞と思い込む」損と「𝑞が真で𝑝と思い込む」損は別物である.とくに𝑞が 0 をとる点で𝑝が正の値をとると𝐷(𝑝 ‖ 𝑞) = +∞になる:起こらないと決めつけていたことが実際に起きると,その符号語には長さが割り当てられていない.
すでに見た不等式の再確認. 𝑞を一様分布にとると𝐷(𝑝 ‖ 一様) =log𝑀 −𝐻(𝑝)となり,𝐷(𝑝 ‖ 一様) ≥0がそのまま定理 1.1.5(𝐻 ≤log𝑀)である.また𝑝 ←𝑝(𝑥,𝑦),𝑞 ←𝑝(𝑥)𝑝(𝑦)とおくと𝐷(𝑝 ‖ 𝑞)は定義 1.3.1 の相互情報量そのものなので,命題 1.3.2 の非負性が再現される.別々に証明した不等式が一つの根に束ねられたことになる.
等号条件の形式化は,参照分布が全点で正である場合に限って述べてある(本文の主張はこの限定を必要としない).
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