2.1 漸近等分配性
第1章はエントロピー𝐻(𝑋)を「平均驚き量」として導入した.平均である以上,それは1 回の観測について何かを言う量ではない.しかし情報源は 1 文字だけ出して終わるのではなく,次々と文字を送り出す.𝑛文字を受け取ったとき,実際に受け取った驚きを 1 文字あたりに均した値(分布から計算した平均ではなく,その回に実現した値)はどう振る舞うだろうか.
本節の答えは「𝑛を大きくすると実現値は𝐻(𝑋)に張り付く」である.これだけ聞くと大数の法則の言い換えにすぎないが,驚きの平均が張り付くということは,実際に現れる系列の確率がどれもほぼ同じ値になるということでもある.1 文字あたりの驚きが𝐻(𝑋)に近いというのは,対数を外せば系列の確率が2−𝑛𝐻(𝑋)の近くにあるということだからで,両者は同じ事実の言い換えにすぎない.長さ𝑛の系列は全部で|X|𝑛個あるのに,分布が偏っていれば実際に現れるのはそのごく一部で,しかもその一部の中ではどれも同じくらい起こりやすい.「漸近的に等しく分配される」という本章の題はここから来ている.次節以降で見るように,この「ごく一部」を数え上げると約2𝑛𝐻個であり,𝑛𝐻ビットあれば番号を振れる.データ圧縮の限界がエントロピーで決まるのは,この数え上げが理由である.
以下,情報源は 独立同分布(i.i.d.)とする.すなわち𝑋0,𝑋1,𝑋2,…は互いに独立で,どれも同じ分布𝑝に従うものとし,アルファベットXは有限とする.長さ𝑛のブロックを𝑋𝑛 :=(𝑋0,…,𝑋𝑛−1)と書き,𝑛 ≥1とする.ブロックの確率も同じ記号で𝑝(𝑥0,…,𝑥𝑛−1)と書く.引数が 1 文字なら周辺分布,𝑛文字の並びならブロックの同時分布である.
本章ではlogの底を 2 にとる.2𝑛𝐻のように指数と対数の底をそろえておくと式が読みやすく,エントロピーの単位もビットで揃うためである.他の底をとりたければ,𝐻の値と指数の底を同じ底で読み替えればよい(式の形は変わらない).
道具を二つ借りる.一つめは大数の強法則で,形は「i.i.d. で期待値をもつ確率変数列の相加平均は,期待値に概収束する」,すなわち確率 1 の事象の上で各点収束するという事実である.当てる相手は,有限アルファベット上の i.i.d. な列から作った有界な確率変数の相加平均である.二つめは概収束は確率収束を含むという関係で,形は「概収束する確率変数の列は,同じ極限に確率収束もする」,すなわち任意の𝜀 >0について,極限から𝜀以上離れる確率が 0 に近づくということである.当てる相手は経験エントロピーの列である.直接借りるのは,一つめが本節の定理 2.1.4・2.4 節の定理 2.4.3・第3章の例 3.4.2・第5章の定理 5.5.1・第15章の定理 15.5.1 と 系 15.5.5 の六つの証明,二つめが本節の定理 2.1.4 と 3.5 節の系 3.5.10 の二つの証明だけで,ほかの主張はすべてこれらを経由してのみ二つの道具に依存する.これらを認めれば,残りは第1章の道具だけで読める.
定義
定義 2.1.1(経験エントロピー). i.i.d. 情報源𝑋0,𝑋1,…(各𝑋𝑖の分布は𝑝)と𝑛 ≥1に対し,長さ𝑛の経験エントロピー を
ˆ𝐻𝑛:=−1𝑛log𝑝(𝑋0,𝑋1,…,𝑋𝑛−1)で定める.ここで𝑝(𝑥0,…,𝑥𝑛−1)はブロック𝑋𝑛の確率である.
ˆ𝐻𝑛は分布から決まる定数ではなく,観測のたびに値が変わる確率変数である.定義 1.1.1 のエントロピー𝐻(𝑋)が分布𝑝だけで決まる数であるのと対照的で,ˆ𝐻𝑛は「今回たまたま出た系列がどれだけ珍しかったか」を 1 文字あたりに直した量になっている.
ˆ𝐻𝑛はブロック全体の確率で定義されているが,i.i.d. なら独立性が積を作り,対数がその積を和に変えるので,1 文字ごとの驚きの相加平均にほどける.ブロックという扱いにくい対象が 1 文字ずつの和になるのが i.i.d. の効きどころで,大数の法則が使えるようになるのもそのためである.次の補題 2.1.3 でこのほどきを確かめる.
例 2.1.2(偏ったコイン). X ={0,1},𝑝(1) =0.9,𝑝(0) =0.1の情報源を考える.エントロピーは例 1.1.2 の二値エントロピーで𝐻(𝑋) =𝐻𝑏(0.1) ≈0.469ビットである.
𝑛 =10回投げて1が 9 回,0が 1 回出たとすると
ˆ𝐻10=−110log(0.99⋅0.1)=−(0.9log0.9+0.1log0.1)=𝐻𝑏(0.1),ちょうど𝐻(𝑋)に一致する.一方 10 回とも1が出たならˆ𝐻10 = −log0.9 ≈0.152ビットで,𝐻(𝑋)の 3 分の 1 ほどしかない.ˆ𝐻𝑛が観測ごとに揺れる量であることが,この二つの値の差に出ている.
例 2.1.2 でˆ𝐻10が𝐻(𝑋)に一致したのは偶然ではない.出た1の割合がちょうど0.9だったからで,一般に1の割合が𝑞ならˆ𝐻𝑛 = −𝑞log0.9 −(1 −𝑞)log0.1になる.割合𝑞が真の確率0.9に近づけばˆ𝐻𝑛は𝐻(𝑋)に近づく.これが本節の定理の,この情報源における姿である.10 回とも1が出るという事象は確率0.910 ≈0.35でまだ珍しくないが,𝑛 =100なら0.9100 ≈2.7 ×10−5で,めったに起きない.𝑛を大きくすると揺れが消えるとはそういうことである.
大数の法則にかけられる形にする
補題 2.1.3. i.i.d. 情報源に対し,経験エントロピーは 1 文字ごとの驚きの相加平均に等しい:
ˆ𝐻𝑛=1𝑛𝑛−1∑𝑖=0(−log𝑝(𝑋𝑖)).またその各項の期待値は𝔼[ −log𝑝(𝑋𝑖)] =𝐻(𝑋)である.
証明. 独立性より,ブロックの確率は周辺分布の積𝑝(𝑥0,…,𝑥𝑛−1) =∏𝑖<𝑛𝑝(𝑥𝑖)に等しい.対数は積を和に変えるので
ˆ𝐻𝑛=−1𝑛log∏𝑖<𝑛𝑝(𝑋𝑖)=1𝑛∑𝑖<𝑛(−log𝑝(𝑋𝑖)).どの𝑋𝑖も分布𝑝に従うので,期待値を定義どおり書き下すと
𝔼[−log𝑝(𝑋𝑖)]=∑𝑥∈X𝑝(𝑥)(−log𝑝(𝑥))=−∑𝑥𝑝(𝑥)log𝑝(𝑥)=𝐻(𝑋)であり,これは定義 1.1.1 そのものである.𝑝(𝑥) =0の項は両辺とも0log0 =0の約束により寄与しない.◻
補題 2.1.3 の後半は式の上ではエントロピーの定義を読み替えただけだが,本節の見取り図はこれで決まる.ˆ𝐻𝑛は i.i.d. な量−log𝑝(𝑋𝑖)の相加平均であり,その各項の期待値が𝐻(𝑋)である.相加平均が期待値に近づくというのが大数の法則だから,ˆ𝐻𝑛は𝐻(𝑋)に近づく.第1章で𝐻(𝑋)を「驚きの平均」と呼んだのは定義に沿った説明だったが,ここではその平均が,実際に観測される驚きの平均として現れる.
主張と証明
定理 2.1.4(漸近等分配性). i.i.d. 情報源に対し,𝑛 →∞で
ˆ𝐻𝑛=−1𝑛log𝑝(𝑋0,…,𝑋𝑛−1)⟶𝐻(𝑋)が確率収束の意味で成り立つ.すなわち任意の𝜀 >0に対しPr[ ∣ˆ𝐻𝑛 −𝐻(𝑋)∣ ≥𝜀 ] →0.さらに収束は概収束の意味でも成り立つ.すなわち確率 1 の事象の上で各点収束する.
証明. 𝑌𝑖 := −log𝑝(𝑋𝑖)とおく.𝑌𝑖は𝑋𝑖だけの関数だから,𝑋0,𝑋1,…がi.i.d. であれば𝑌0,𝑌1,…も i.i.d. である.
𝑌𝑖が期待値をもつことを確かめる.𝑋𝑖が値𝑎をとる確率は𝑝(𝑎)なので,𝑝(𝑎) =0の値を𝑋𝑖がとる確率は 0 である.よって𝑌𝑖は確率 1 で有限集合{ −log𝑝(𝑎) :𝑝(𝑎) >0}に値をとり,確率 1 で有界である.有界な確率変数は期待値をもち,補題 2.1.3 よりその値は𝐻(𝑋)である.
補題 2.1.3 よりˆ𝐻𝑛 =1𝑛∑𝑖<𝑛𝑌𝑖だから,i.i.d. で期待値をもつ列に大数の強法則を適用して,概収束ˆ𝐻𝑛 →𝐻(𝑋)を得る.借りた二つめ,すなわち概収束は確率収束を含むという関係から,主張の前半もここから従う.◼
両端で確かめる. 極端な情報源では定理 2.1.4 は何も言っていないに等しい.𝑋がある一点に確率 1 で集中していれば𝐻(𝑋) =0(命題 1.1.4)で,出る系列はただ一つ,その確率は 1 だからˆ𝐻𝑛 =0が常に成り立ち,揺れる余地がない.X上の一様分布なら,どの系列も確率|X|−𝑛なのでˆ𝐻𝑛 =log|X| =𝐻(𝑋)が,やはり常に成り立つ(例 1.1.3).揺れが生じるのは分布が偏っていて,しかも一点に集中していない中間の場合だけであり,そこで初めて「𝑛を大きくすると揺れが消える」という主張に中身が出る.
どの系列が出るかは言わない. 定理 2.1.4 が述べているのは,実際に出た系列の確率が2−𝑛𝐻(𝑋)の近くにあるということだけで,どの系列が出るかについては何も言わない.確率が近いというだけなら,たがいにまったく違う系列どうしでも成り立ちうる.次節では,この「確率が2−𝑛𝐻近辺の系列」をひとまとめの集合として取り出し,その集合がどれくらい大きいかを数える.定理 2.1.4 は,その集合にブロックが入る確率が 1 に近づくことを保証する部分を担う.
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