8.5 帯域制限ガウス通信路
8.1 節から 8.4 節までのガウス通信路は,「1回の使用」という単位が外から与えられていた.実際の通信では,その単位を決めるのは通信路のほうである.電話線でも無線でも,運べる信号は周波数の帯域が限られていて,帯域が狭ければ信号は速く動けず,1秒のあいだに送れる独立な値の個数もそれだけ限られる.本節はその個数を勘定し,1秒あたりに運べるビット数を求める.結果が Shannon–Hartley の公式である.
本節の𝑊は帯域幅を表す実数で,第5章の倍加率𝑊(𝑏,𝑜,𝑝)や第6章の通信路𝑊(𝑦 ∣𝑥)とは別のものである.どれもこの分野の標準的な書き方なので,本節ではつねに帯域幅の意味で使う.
帯域という言葉の像を先に作っておく.信号を,周波数𝑊以下の正弦波を重ね合わせたものだと思う.周波数𝑊の正弦波は1秒に2𝑊回だけ0を横切るので,それより速い成分をもたない信号も,1秒に2𝑊回より細かくは動けない.動ける回数だけ独立な実数を載せられる,というのが本節の勘定である.雑音のほうも同じ絵で見る.各周波数の正弦波に独立なガウス分布に従う振幅が乗ったものが雑音で,その振幅の大きさを周波数の幅あたりで測ったのが,次に置く片側電力スペクトル密度である.
雑音の大きさは,8.1 節までの分散𝑁ではなく,片側電力スペクトル密度 𝑁0で与える.これは1ヘルツの幅あたりに乗る雑音の電力で,帯域𝑊の中に入る雑音の電力が𝑁0𝑊になる,という約束である.二つの言葉を断っておく.雑音が 白色 であるとは,その電力がどの周波数にも同じ密度で乗っていることをいう.どの帯域を切り出しても,切り出した幅に比例した電力がそこに入る,というのがこの語の内容で,𝑁0𝑊という書き方はそれを使っている.片側 とは,その密度を正の周波数の側だけで数える数え方を指す.周波数を正負の両側で数える流儀では同じ雑音が密度𝑁0/2と書かれるが,帯域𝑊に入る電力はどちらの数え方でも𝑁0𝑊である.本節はつねに片側で書く.
帯域制限と標本
本節が扱うのは,𝑊ヘルツ以下の周波数成分だけからできている信号,すなわち 帯域𝑊に制限された信号 である.この言い方を精密にするには Fourier 変換が要り,本書はそれを前提にしない.そこで,帯域制限についての三つの事実を,名前を挙げて借りる.
三つに共通して現れる言葉を先に決めておく.信号のエネルギーとは,その電力に時間を掛けたものである.二つの信号の内積とは,それらの積を時間について積分したものをいい,信号のエネルギーは自分自身との内積にあたる.内積が0である二つの信号を直交するといい,互いに直交してどれもエネルギーが1である信号の組を正規直交という.
一つめは 標本化定理(Whittaker–Shannon の定理)で,帯域𝑊に制限された信号は,間隔1/(2𝑊)でとった標本の値の列から一意に定まる,という事実である.1秒あたり2𝑊個の実数がその信号を決める,ということになる.二つめは 自由度の数え上げ(Landau–Pollak–Slepian の定理)で,長さ𝑇の時間窓の中でエネルギーのほとんどを保てる互いに正規直交な向きの本数を𝑇で割ると,𝑇を大きくするにつれて2𝑊に近づく,という事実である.三つめは 白色ガウス雑音の展開(Karhunen–Loève 展開)で,片側電力スペクトル密度𝑁0の白色ガウス雑音を互いに正規直交な向きに分解すると,各向きに乗る成分は互いに独立で,平均0,分散𝑁0/2のガウス分布に従う,という事実である.当てる対象は,一つめが帯域𝑊に制限された実数値の信号,二つめが帯域𝑊に制限された信号のうちエネルギーの大半が長さ𝑇の窓に集中しているもの,三つめが二つめの数え上げが与える向きである.一つめが数える標本と二つめが数える向きが同じものを別の側から数えていること,すなわち窓の中の正規直交な向き1本が標本1個にあたることも,あわせて借りる.三つとも,依存するのは定義 8.5.1 の設定を正当化するところだけである.
一つめと二つめの両方が要るのは,答えるべき問いが二つあるからである.標本化定理は時間軸の全体にわたる信号についての言明で,1秒あたり2𝑊個という数え方を与える.しかし通信で使えるのは長さ𝑇の窓の中だけで,窓で切った信号はもう帯域𝑊に制限されていない(信号を時刻で切り落とすと,切り口の急な変化を作るのに高い周波数の成分が要るからである)から,窓の中に何本ぶんの自由が残るかは標本化定理だけでは決まらない.二つめは,窓を切ってもなお1秒あたり2𝑊本という数が生き残ることを言うものである.
二つめと三つめの数が合うことを見ておく.帯域𝑊の中に入る雑音の電力は𝑁0𝑊だから,長さ𝑇の窓に入る雑音のエネルギーは𝑁0𝑊𝑇である.二つめが数える向きは窓の中におよそ2𝑊𝑇本あるので,1本あたりのエネルギーはおよそ𝑁0𝑊𝑇/(2𝑊𝑇) =𝑁0/2で,三つめが与える分散に一致する.同じ勘定を信号の側にも当てる.電力𝑃の信号が窓に置くエネルギーは𝑃𝑇だから,1本あたりのエネルギーは𝑃/(2𝑊)である.8.1 節は1回の使用あたりの𝔼[𝑋2]を電力と呼んでいるので,向き1本ぶんを1回の使用と読めば,この値がそのまま1本あたりに使える電力になる.一つめが数える標本と二つめが数える向きも,同じものを別の側から数えている.窓の中の正規直交な向き1本が標本1個にあたる,というのが借りた事実に含めた同一視で,定義 8.5.1 はこれを使う.
定義 8.5.1(帯域制限ガウス通信路). 𝑊 >0,𝑁0 >0,𝑃 >0とする.帯域𝑊に制限され,片側電力スペクトル密度𝑁0の白色ガウス雑音が乗り,信号の電力が𝑃以下に抑えられた通信路を,借りた標本化定理と自由度の数え上げと白色ガウス雑音の展開により,雑音の分散が𝑁0/2であるガウス通信路(定義 8.1.1)を1秒あたり2𝑊回使い,1回あたりの電力を𝑃/(2𝑊)に抑えたものとみなす.これを 帯域制限ガウス通信路 と呼び,その1回の使用,すなわち正規直交な向き1本ぶんの使用を 標本 と呼ぶ.標本の個数は1秒あたり2𝑊個で,標本化定理が数える標本の個数と同じである.
Shannon–Hartley の公式
命題 8.5.2(1標本あたりの容量). 𝑊 >0,𝑁0 >0,𝑃 >0とする.定義 8.5.1 の帯域制限ガウス通信路の1標本あたりの容量は
12log(1+𝑃𝑁0𝑊)である.
証明. 定義 8.5.1 より,1標本は雑音の分散𝑁 :=𝑁0/2,電力制約𝑃/(2𝑊)のガウス通信路の1回の使用である.𝑊 >0と𝑁0 >0より𝑁 >0かつ𝑃/(2𝑊) >0だから,定理 8.2.4 を当てて,1標本あたりの容量は
12log(1+𝑃/(2𝑊)𝑁0/2)である.括弧の中の分数は𝑃2𝑊 ⋅2𝑁0 =𝑃𝑁0𝑊に等しい.◼
1秒あたりに直すには,標本の個数を掛ければよい.掛け算は単位の換算である.レート𝑅のほうは 8.3 節・8.4 節のとおり多くの標本にわたる符号化で得た量であり,2𝑊倍することで新しい主張が足されるわけではない.Shannon–Hartley の公式の重みは,掛け算のほうではなく,その換算を用意した定義 8.5.1 の側にある.1秒が2𝑊個の標本にあたるという一行に,本節が借りた三つの事実がすべて入っている.
命題 8.5.3(Shannon–Hartley の公式). 𝑊 >0,𝑁0 >0,𝑃 >0とする.定義 8.5.1 の帯域制限ガウス通信路が1秒あたりに達成できるレート,すなわち標本あたりの達成レート𝑅 ∈R(𝑃2𝑊, 𝑁02)(定義 8.3.2)に1秒あたりの標本の個数2𝑊を掛けた値2𝑊𝑅の全体は空でなく,その上限は
𝑊log(1+𝑃𝑁0𝑊)である.
証明. 定義 8.5.1 より,この通信路の1標本は雑音の分散𝑁0/2,電力制約𝑃/(2𝑊)のガウス通信路の1回の使用である.𝑊 >0と𝑁0 >0と𝑃 >0より𝑁0/2 >0かつ𝑃/(2𝑊) >0だから,系 8.4.2 をこの二つに当てるとR(𝑃2𝑊,𝑁02)は空でなく,その上限は12log(1 +𝑃𝑁0𝑊)である(右辺が命題 8.5.2 の計算で得た値である).集合の各元を正の定数2𝑊倍すれば上限も2𝑊倍になるから,求める上限は
2𝑊⋅12log(1+𝑃𝑁0𝑊)=𝑊log(1+𝑃𝑁0𝑊)である.◼
命題 8.5.3 が与えた𝑊log(1 +𝑃𝑁0𝑊)が Shannon–Hartley の公式で,帯域幅・信号電力・雑音の強さという三つの物理量だけで通信の限界が決まっている.
帯域と電力のどちらを増やすか. 公式の𝑊は,括弧の外では掛け算で,括弧の中では割り算で効いている.帯域を2倍にすると標本の個数は2倍になるが,同じ電力を2倍の標本に配ることになるので,1標本あたりの信号対雑音比は半分になる.前者は線形に効き,後者は対数の中で効く.例 8.5.5 と例 8.5.6 は,帯域を広げるほうが効く場合と効かない場合の両端になっている.いっぽう電力𝑃は括弧の中にしか現れないので,増やしても対数でしか効かない.帯域を広げることにも限りがあり,その限りを与えるのが命題 8.5.4 である.
命題 8.5.4(帯域を広げた極限). 𝑁0 >0,𝑃 >0とする.𝑊 →∞のとき
𝑊log(1+𝑃𝑁0𝑊)⟶𝑃𝑁0log𝑒である.
証明. 𝑢 :=𝑃/(𝑁0𝑊) >0とおく.補題 1.1.7 の対数不等式log𝑡 ≤(𝑡 −1)log𝑒を𝑡 =1 +𝑢に当てるとlog(1 +𝑢) ≤𝑢log𝑒である.同じ不等式を𝑡 =1/(1 +𝑢)に当てると
−log(1+𝑢)≤(11+𝑢−1)log𝑒=−𝑢1+𝑢log𝑒だからlog(1 +𝑢) ≥𝑢1+𝑢log𝑒である.𝑊𝑢 =𝑃/𝑁0だから,二つを合わせて
𝑃𝑁0⋅11+𝑢log𝑒≤𝑊log(1+𝑃𝑁0𝑊)≤𝑃𝑁0log𝑒を得る.𝑊 →∞のとき𝑢 →0だから左辺は𝑃𝑁0log𝑒に収束し,はさみうちにより主張が従う.◼
帯域をいくら広げても1秒あたりに運べる量は𝑃𝑁0log𝑒で頭打ちになる,というのが命題 8.5.4 の内容である.広げた帯域には雑音も入ってくるので,1標本あたりの信号対雑音比が下がっていき,標本の個数が増えるぶんと釣り合ってしまう.底を2にとるとlog2𝑒 =1.4427…で,上限は𝑃/𝑁0のおよそ1.4427倍のビット毎秒である.
一つめの例は電話級の回線である.音声の周波数成分がおよそ300から3400ヘルツの範囲にあり,電話の回線はその範囲を運べればよいので,帯域を3000ヘルツにとる.信号対雑音比1000のほうは,比を常用対数で測って10倍する目盛り(デシベル)で書けば30デシベルにあたる.
例 8.5.5(電話級の回線). 𝑊 =3000ヘルツ,𝑃/(𝑁0𝑊) =1000とする.このとき1標本あたりの容量は約4.98ビット,1秒あたりに達成できるレートの上限は3000log21001で,約29902ビット毎秒である.同じ𝑃/𝑁0のまま帯域をいくらでも広げたときの上限(命題 8.5.4)は約4.328 ×106ビット毎秒で,前者はその1パーセントに満たない.
証明. 命題 8.5.2 より1標本あたりの容量は12log21001である.log21001 =9.9672…だから約4.98である.命題 8.5.3 より1秒あたりの上限はこれに標本の個数2𝑊 =6000を掛けた3000log21001で,約29902である.
帯域を広げた極限を計算する.𝑃/(𝑁0𝑊) =1000と𝑊 =3000から𝑃/𝑁0 =3 ×106である.命題 8.5.4 の右辺は3 ×106 ×log2𝑒で,log2𝑒 =1.4427…だから約4.328 ×106である.二つの比は29902/(4.328 ×106) =0.0069…である.◼
もう一つの例は帯域の広い回線である.帯域107ヘルツは無線通信で使われる帯域の規模で,こちらは電話級の回線とは逆に,信号対雑音比のほうが小さい.
例 8.5.6(帯域の広い回線). 𝑊 =107ヘルツ,𝑃/(𝑁0𝑊) =1/100とする.このとき1標本あたりの容量は約0.0072ビットで1ビットにはるかに満たないが,1秒あたりに達成できるレートの上限は107log21.01で,約1.436 ×105ビット毎秒である.同じ𝑃/𝑁0のまま帯域をいくらでも広げたときの上限(命題 8.5.4)は約1.443 ×105ビット毎秒で,前者はすでにその99パーセントを超えている.
証明. 命題 8.5.2 より1標本あたりの容量は12log21.01である.log21.01 =0.014355…だから約0.0072である.命題 8.5.3 より1秒あたりの上限はこれに標本の個数2𝑊 =2 ×107を掛けた107log21.01で,約1.436 ×105である.
帯域を広げた極限を計算する.𝑃/(𝑁0𝑊) =1/100と𝑊 =107から𝑃/𝑁0 =105である.命題 8.5.4 の右辺は105 ×log2𝑒で約1.443 ×105である.二つの比は0.9950…である.◼
二つの例は,同じ公式の両端を見せている.電話級の回線は,1標本に約5ビットも積める代わりに,標本が1秒に6000個しかない.帯域の制限を外していけば,同じ電力と同じ雑音の強さのまま上限が140倍を超えるところまで伸びるので,この回線を縛っているのは帯域のほうである.帯域の広い回線は逆で,1標本には0.01ビットも積めないが,標本が1秒に2 ×107個ある.こちらはすでに帯域を広げた極限の99パーセントを超えているから,帯域をさらに広げてもほとんど伸びず,伸ばしたければ𝑃/𝑁0を上げるほかない.同じ公式が,効いているのが標本の個数2𝑊のほうか,比𝑃/𝑁0のほうかで,別の顔を見せている.
𝑃/(𝑁0𝑊) =1000という比の大きさも,1標本あたりのビット数に直すと見当がつく.約4.98ビットである.比を1000倍の106に上げてようやく1標本あたりが約9.97ビットになり,1秒あたりの量がほぼ2倍の約59795ビット毎秒に届く.括弧の中で対数が受け止めるので,比を大きくして稼げる量はこれだけ緩い.
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