15.5 i.i.d. 市場での長期のふるまい

ここまでの倍加率は,どれも期あたりの期待値である.期待値が大きいことと,実際に手元の資産が増えることは別の話で,測り方を変えれば順位も変わりうることは第5章 例 5.2.4 が見せたとおりである.第5章 5.5 節 は競馬についてこの隔たりを埋め,レースが独立に同じ分布で繰り返されるなら資産の増え方が確率で倍加率そのものになることを示した.レースの資産の期待値ではなく倍加率を賭け方の良さの尺度に選んだのは,そのためだった.市場でも同じ運びが通る.違うのは期の倍率が積から和になったところだけで,対数をとって和に直したあとの議論はそのままである.

道具は第2章 2.1 節で借りた 大数の強法則 である.形は「i.i.d. で期待値をもつ確率変数列の相加平均は,期待値に概収束する」,すなわち確率の事象の上で各点収束するというもので,当てる相手は有限アルファベット上の i.i.d. な列から作った有界な確率変数の相加平均である.本節が当てるのは二つで,一つは有限集合に値をとる i.i.d. な株価比の列から作った資産倍率の対数の相加平均,もう一つは同じ列から作った,株価比がある値をとることの指示変数の相加平均である.どちらも第2章が宣言した当てる相手と同じ形をしている.主張の証明でこれを直接借りるのは 定理 15.5.1系 15.5.5 の二つで,本章のほかの主張はすべてこの二つを経由してのみこの道具に依存する.本節がほかに用いるのは,極限と対数についての微積分の初等規則と,有限個の確率の事象の共通部分がまた確率であることだけである.

増え方は倍加率になる

定理 15.5.1. とし,を株価比(定義 15.1.1)からなる空でない有限集合,上の分布,をポートフォリオ(定義 15.1.2)とする.株価比の列が i.i.d. で,各が分布に従うとき,確率

lim𝑛1𝑛log𝑆𝑛(𝑏)=𝑊(𝑏,𝑝)

が成り立つ(定義 15.1.3 の資産,定義 15.1.4 の倍加率である).

証明. 第5章 定理 5.5.1 の証明がそのまま通る.レースの倍率,すなわち勝ち馬に賭けた比率とそのオッズとの積を,資産倍率に置き換えるだけでよく,市場の側で増えるのは,定義 15.1.3 の積の各因子が正であることを 補題 15.1.5 で確かめる一行である.すなわち対数をとって

log𝑆𝑛(𝑏)=𝑛𝑖=1log(𝑚𝑗=1𝑏(𝑗)𝑋𝑖(𝑗))

と和に直すと,各項はだけの関数だからこの列は i.i.d. であり,値は有限個の数𝑥 X)のどれかだから有界で,期待値は 定義 15.1.4である.はこの列の相加平均だから,大数の強法則を当てるとに概収束し,確率の事象の上で主張の等式が成り立つ.

形式化: seqLogWealth_div_tendsto_growthRate (ソース)

形式化上の注記. 形式化は株価比の列に,相互独立ではなく対ごとの独立と同分布性だけを求めている.結論の右辺に現れる分布は,株価比の像測度から作った lawPmf (InformationTheory/Shannon/Gambling/OperationalSequences.lean) である.

規模感. 定理 15.5.1に近づくと言っているので,の大きいところでははおよそである.例 15.1.6 の市場が i.i.d. に繰り返されるとして,半々にとったポートフォリオをとるとだから,この速さがそのまま続くとすれば期後のはおよそ,すなわち資産はおよそ倍という勘定になる.期あたりではという小さな値でも,掛け算で積み上がるとこの規模になる.ただし 定理 15.5.1 が述べているのは極限だけで,有限のでこの値からどれだけ散らばるかは本書では与えない.これは規模の見当であって,期後の資産がこの値の近くにあるという主張ではない.

対数最適ポートフォリオは長い目で見ても最適

系 15.5.2. とし,を株価比(定義 15.1.1)からなる空でない有限集合,上の分布,をポートフォリオ(定義 15.1.2),を分布についての対数最適ポートフォリオ(定義 15.2.3)とする.株価比の列が i.i.d. で,各が分布に従うとき,確率はともに収束し,

lim𝑛1𝑛log𝑆𝑛(𝑏)lim𝑛1𝑛log𝑆𝑛(𝑏)

が成り立つ(定義 15.1.3 の資産である).

証明. 定理 15.5.1 をポートフォリオにそれぞれ当てると,二つの確率の事象が得られる.有限個の確率の事象の共通部分は確率だから,その共通部分の上では二つの極限が同時に存在してに等しい.定義 15.2.3 よりだから,不等式が従う.

形式化: seqLogWealth_asymptotically_optimal (ソース)

形式化上の注記. 宣言がに課すのは,対数最適性ではなく 15.2 節 の Kuhn–Tucker 条件の本の不等式である.本文の対数最適性からその本が出ることは 定理 15.2.5 が与え,そちらも無条件の機械検証済みである.

系 15.5.2定義 15.2.3 の最適性を実際の資産の言葉に翻訳したものである.定義 15.2.3 が比べているのは倍加率,すなわち期待値どうしだったので,たまたま今回は別のポートフォリオが勝つことを排除していなかった.系 15.5.2 は,を大きくしたときの増え方については確率でその追い越しが起きないと言っている.比べているのは,毎期同じ比率に配分し直すポートフォリオどうしである.ここで確率の事象はポートフォリオごとに定まる.系 15.5.2 の証明が交わしているのは二つの事象だけなので,すべてのポートフォリオを同時に覆う一つの事象があるとまでは言えていない.すべてのポートフォリオを同時に覆う版が要るなら,第5章 5.5 節 が競馬について書いたのと同じく,各株価比の指示変数の相加平均,すなわち経験頻度に大数の強法則を当てて,個の確率の事象を交わせばよい.は有限だから,これも有限個の共通部分で済む.この版は本節の最後に 系 15.5.5 として置く.

符号で決まる二つの行き先

系 15.5.3. とし,を株価比(定義 15.1.1)からなる空でない有限集合,上の分布,をポートフォリオ(定義 15.1.2)とする.株価比の列が i.i.d. で,各が分布に従うとき,ならば確率であり,したがって確率で資産は限りなく大きくなる.ならば確率であり,したがって確率に近づく(定義 15.1.3 の資産,定義 15.1.4 の倍加率である).

証明. についてと書く.定理 15.5.1 より確率の事象の上でだから,その事象の上では,正の実数に収束する数列にを掛けたものがに発散し,極限が負の実数ならに発散するという既知の規則により,なら積はに,ならに発散する.

資産そのものに読み替える.定義 15.1.3 の各因子は正だからであり,正の数の列については,対数がに発散することと列そのものが限りなく大きくなることが同じ,対数がに発散することと列そのものがに近づくことが同じである.これを上の二つの場合に当てれば後半を得る.

形式化上の注記. 系 15.5.3 に対応する単独の宣言はない.定理 15.5.1 の紐付け先に,正の実数に収束する数列にを掛けると発散するという規則を合わせて得られる.資産そのものへの読み替えにあたる宣言もない.第5章 系 5.5.2 の競馬版には対数についての宣言が二つあるが,市場についてはそれもない.

例 15.5.4(現金と株と半々の行き先). 例 15.1.6 の市場が繰り返されるとする.すなわち株価比の列が i.i.d. で,各例 15.1.6 の分布に従うとする.全額を現金にとったポートフォリオの資産(定義 15.1.3)は,どのについてもである.全額を株にとったポートフォリオの資産は,とし第期から第期までに回出たとすると,である.半々にとったポートフォリオの資産は,確率で限りなく大きくなる.

証明. 全額を現金にとると,資産倍率はどちらの株価比でもだから,定義 15.1.3 の積の各因子がで,資産はである.全額を株にとると,資産倍率はだから,回,回出れば積はである.半々にとると,例 15.1.6 より倍加率はであり,と対数の単調性(補題 8.2.5)よりだからこれは正である.よって 系 15.5.3 の前半が当たる.

全額を現金にとったものと全額を株にとったものは,どちらも倍加率がである(例 15.1.6)から,系 15.5.3 の外にある.前者の資産はから動かず,後者の資産は上向きと下向きの回数の差だけで決まっての整数乗のあいだを行き来する.でいえば,上向きが回なら資産はちょうど倍だが,回なら,すなわちおよそ万分の倍,回なら,すなわちおよそ万倍である.半々にとったものだけが倍加率が正で,資産が確率で限りなく大きくなる.混ぜる前の二つはどちらも 系 15.5.3 が何も言わない側にいるのに,混ぜたものは言い切れる側に移る.

すべてのポートフォリオを同時に覆う

系 15.5.2 の確率の事象は,くらべる二つのポートフォリオごとに定まっていた.これを,どのポートフォリオについても同時に使える一つの事象にまとめておく.15.8 節 が,分布を知らずに運用したときの増え方を対数最適ポートフォリオのそれとくらべるときに,この形が要る.次の証明では,以上の量がに収束する量以下ならそれもに収束するという挟み撃ちの原理を既知とする.

系 15.5.5. とし,を株価比(定義 15.1.1)からなる空でない有限集合,上の分布とする.株価比の列が i.i.d. で,各が分布に従うとき,確率

lim𝑛sup𝑏1𝑛log𝑆𝑛(𝑏)𝑊(𝑏,𝑝)=0

が成り立つ.上限はポートフォリオ(定義 15.1.2)全体にわたるもので,定義 15.1.3 の資産,定義 15.1.4 の倍加率である.

証明. 経験頻度で書き直す.整数について,第期から第期までにが出た回数をで割ったものをと書く.補題 15.1.5 より 定義 15.1.3 の積の各因子は正だから,対数をとってと和に直せる.の元しかとらないから,この個の項を値ごとにまとめて

1𝑛log𝑆𝑛(𝑏)=𝑥Xˆ𝑝𝑛(𝑥)log(𝑚𝑗=1𝑏(𝑗)𝑥(𝑗))

と書ける.定義 15.1.4は同じ形の和で重みがのものだから,差は

1𝑛log𝑆𝑛(𝑏)𝑊(𝑏,𝑝)=𝑥X(ˆ𝑝𝑛(𝑥)𝑝(𝑥))log(𝑚𝑗=1𝑏(𝑗)𝑥(𝑗))

である.

対数の係数をに依らず抑える.を固定する.番号は個しかないから,成分の最小値と最大値が定まる.定義 15.1.2 よりかつだから

min1𝑘𝑚𝑥(𝑘)=𝑚𝑗=1𝑏(𝑗)min1𝑘𝑚𝑥(𝑘)𝑚𝑗=1𝑏(𝑗)𝑥(𝑗)𝑚𝑗=1𝑏(𝑗)max1𝑘𝑚𝑥(𝑘)=max1𝑘𝑚𝑥(𝑘)

である.定義 15.1.1 より左端は正だから,対数の単調性(補題 8.2.5)よりは両端の対数のあいだにある.二つの数のあいだにある数の絶対値は,その二つの絶対値の大きいほうを超えない.両端はどちらもある成分の対数だから,どのポートフォリオについてもを得る.

上限を抑える.前の二段から,どのポートフォリオについても

1𝑛log𝑆𝑛(𝑏)𝑊(𝑏,𝑝)(max𝑥Xmax1𝑘𝑚log𝑥(𝑘))𝑥Xˆ𝑝𝑛(𝑥)𝑝(𝑥)

である.括弧の中は,が空でない有限集合だから定まる非負の数で,にもにも依らない.右辺には現れないから,これは上限の上界でもある.いっぽう銘柄に全額を寄せた組はポートフォリオだから上限をとる相手は空でなく,各項は絶対値だから,上限は以上である.

和のほうが確率に収束することを見る.を固定し,のとき,そうでないときをとる量をとおく.だけの関数だからこの列は i.i.d. であり,値はだけだから有界で,期待値はである.はこの列の相加平均だから,大数の強法則を当てるとに概収束する.は有限だから,こうして得た個の確率の事象の共通部分もまた確率であり,その上ではどのでもに収束するから,有限和もに収束し,に依らない数を掛けたものもに収束する.

その共通部分の上では,上限は以上でに収束する量以下だから,挟み撃ちによりに収束する.

形式化上の注記. 系 15.5.5 に対応する単独の宣言はない.ポートフォリオ全体にわたる上限がに収束することを結論にもつ宣言を,結論の形で探して見つからなかった.形式化が持つのは 定理 15.5.1 の紐付け先のように,ポートフォリオを一つ固定してから収束を述べる形のものだけである.

系 15.5.5定理 15.5.1 を,ポートフォリオについてまとめて述べ直したものである.定理 15.5.1 はポートフォリオを一つ決めてから確率の事象を作るので,事象はポートフォリオごとに違ってよかった.系 15.5.5 は一つの事象の上で,どのポートフォリオについても近づき方をまとめて押さえている.押さえるのに使ったのは,株価比の値ごとの出現の割合という,ポートフォリオを見ないで決まる量だけである.

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