9.1 歪みとレート歪み関数
第2章と第3章は,情報源の出した列をそのまま復元できることを求めて,どこまで短く書けるかを問うた.その限界がエントロピーだった.ところが実際に圧縮したいものの多くは,そのまま復元しなくてよい.写真を保存するとき,隣り合う画素の値がもとの値から少しずれても,見る側は同じ写真として受け取る.音声も同じで,人の耳に届かない差は落としてよい.実数値をとる量にいたっては,有限個の符号語のどれかに割り当てる時点で,どこかで値を丸めることになる.そこで本章が問うのは,どれだけの誤りを許せばレートをどこまで下げられるか,である.
許す誤りの量は,情報源の文字と,その代わりに出す文字との組に数を与えて測る.この数を歪みと呼び,歪みの平均を𝐷以下に抑えるという条件のもとでレートの限界を与える量として,本章はレート歪み関数𝑅(𝐷)を立てる.進め方は第8章と同じ二段構えにする.本節で𝑅(𝐷)を最適化問題の値として定義し,9.2 節から 9.4 節でその性質と具体例を調べ,そのうえで,それが符号についての限界でもあることを 9.5 節と 9.6 節で確かめる.
本章ではlogの底を2にとる.符号語の個数を2の何乗として数える段(9.5 節と 9.6 節)で,指数と対数の底がそろっていると式が読みやすい.記号も一つ断っておく.本章の裸の𝐷はつねに許す歪みの上限を指し,第4章 4.1 節が符号アルファベットの大きさに使う裸の𝐷とも,第1章の相対エントロピー𝐷(𝑝 ‖ 𝑞)とも別である.
歪み尺度
定義 9.1.1(歪み尺度). XとˆXを空でない有限集合とする.歪み尺度 とは,写像
𝑑:X׈X⟶[0,∞)のことをいう.Xを 情報源アルファベット,ˆXを 再現アルファベット と呼び,𝑑(𝑥,ˆ𝑥)を,情報源の文字𝑥の代わりにˆ𝑥を出したときに払う 歪み と呼ぶ.
歪み尺度は「どれだけ間違えたか」を数で決める約束である.何を損とみなすかは扱う対象で違うので,本書はその決め方に立ち入らず,決まったものとして受け取る.値が小さいほどよい再現で,0は損がないことを表す.𝐷以下に抑える,という本章の条件は,この数の平均についての条件である.
距離ではない. 定義 9.1.1 が課しているのは非負であることだけで,対称性も三角不等式も課していない.そもそも二つのアルファベットは違ってよいので,𝑑(𝑥,ˆ𝑥)と並べて𝑑(ˆ𝑥,𝑥)を書けるとは限らない.白を黒と読むときの損と,黒を白と読むときの損が等しいことも,定義 9.1.1 は要求しない.
情報源は1文字ずつではなく,長さ𝑛のブロックにまとめて扱う.ブロックの歪みは,成分ごとの歪みを平均して定める.
定義 9.1.2(ブロックの歪み). X,ˆX,𝑑を定義 9.1.1 のとおりとし,𝑛 ≥1とする.列𝑥𝑛 =(𝑥0,…,𝑥𝑛−1) ∈X𝑛とˆ𝑥𝑛 =(ˆ𝑥0,…,ˆ𝑥𝑛−1) ∈ˆX𝑛に対して,ブロックの歪み を
𝑑(𝑥𝑛,ˆ𝑥𝑛):=1𝑛𝑛−1∑𝑖=0𝑑(𝑥𝑖,ˆ𝑥𝑖)で定める.
足すのではなく平均するのは,1文字あたりの歪みで測るためである.そうしておくと,ブロックの長さを変えても値の大きさがそろい,𝑛を大きくする議論に乗る.1文字の歪みとブロックの歪みに同じ記号𝑑を使うが,引数が文字の対か列の対かで見分けられる.
例 9.1.3(Hamming 歪み). Xを空でない有限集合とし,ˆX =Xとして
𝑑𝐻(𝑥,ˆ𝑥):={0(ˆ𝑥=𝑥)1(ˆ𝑥≠𝑥)と定める.この𝑑𝐻は歪み尺度(定義 9.1.1)であり,𝑛 ≥1と𝑥𝑛,ˆ𝑥𝑛 ∈X𝑛に対して,そのブロックの歪み(定義 9.1.2)は成分が食い違う位置の割合
𝑑𝐻(𝑥𝑛,ˆ𝑥𝑛)=1𝑛#{𝑖∈{0,…,𝑛−1}:ˆ𝑥𝑖≠𝑥𝑖}に等しい.さらに𝑋𝑛 =(𝑋0,…,𝑋𝑛−1)とˆ𝑋𝑛 =(ˆ𝑋0,…,ˆ𝑋𝑛−1)をX𝑛に値をとる確率変数の組とすると
𝔼[𝑑𝐻(𝑋𝑛,ˆ𝑋𝑛)]=1𝑛𝑛−1∑𝑖=0Pr[ˆ𝑋𝑖≠𝑋𝑖]である.
証明. 𝑑𝐻の値は0と1だけなので[0,∞)に入り,𝑑𝐻は歪み尺度である.定義 9.1.2 の和∑𝑖𝑑𝐻(𝑥𝑖,ˆ𝑥𝑖)は,ˆ𝑥𝑖 ≠𝑥𝑖である𝑖ごとに1を,そうでない𝑖には0を足したものだから,食い違う位置の個数に等しい.これを𝑛で割ったものが第1の等式である.
期待値に移る.𝑑𝐻(𝑋𝑖,ˆ𝑋𝑖)は事象{ˆ𝑋𝑖 ≠𝑋𝑖}の指示変数だから,その期待値はPr[ˆ𝑋𝑖 ≠𝑋𝑖]である.第1の等式の右辺は𝑛個の指示変数の平均なので,期待値の線形性から第2の等式を得る.◼
Hamming 歪みは,一致したか否かだけを見る歪み尺度である.例 9.1.3 の第2の式が数えているのは成分ごとの食い違いであって,ブロック全体の一致ではない.第2章 定義 2.3.1 の誤り確率はブロック全体が一致しない確率で,別の量である.Hamming 歪みを小さくするとは,食い違う文字の割合を小さくすることであって,ブロックをそのまま当てることではない.
例 9.1.4(2乗歪み). X =ˆX =ℝとし,𝑑(𝑥,ˆ𝑥) :=(𝑥 −ˆ𝑥)2と定める.この𝑑は非負の値をとり,定義 9.1.2 の式をそのまま当てると,ブロックの歪みは平均2乗誤差1𝑛∑𝑛−1𝑖=0(𝑥𝑖 −ˆ𝑥𝑖)2になる.
ℝは有限集合ではないので,例 9.1.4 は定義 9.1.1 の枠の外にある.本節から 9.3 節までの定義と主張は有限のアルファベットについて述べるので,2乗歪みで測る情報源は 9.4 節で別に扱う.
レート歪み関数
歪み尺度が決まると,再現の良し悪しは数で比べられるようになる.次に決めたいのは,歪みを𝐷以下に抑えるのに,情報源についてどれだけのことを知る必要があるか,である.必要な量を測る物差しとして,本章は相互情報量をとる.情報源𝑋と,その再現ˆ𝑋を対にして見たとき,𝐼(𝑋;ˆ𝑋)は二つがどれだけ強く結びついているかを測る量だった(1.3 節).再現が情報源と独立なら𝐼(𝑋;ˆ𝑋) =0であり,値が大きいほど強く結びついている(命題 1.3.2).結びつきが弱いほど,再現の側で区別しなければならない情報源の列は少なく,番号を書き下すのに要るビット数も少なくて済む,というのが物差しにとる見当で,その筋は定義のあとに書く.歪みを𝐷以下に抑えるという条件を満たす再現の作り方のうち,いちばん弱い結びつきで済むものを探して,その結びつきの強さを𝑅(𝐷)と定める,というのが次の定義である.
定義 9.1.5(レート歪み関数). XとˆXを空でない有限集合,𝑝をX上の分布,𝑑を歪み尺度(定義 9.1.1),𝐷を実数とする.条件付き分布 とは,各𝑥 ∈Xと各ˆ𝑥 ∈ˆXに非負の実数𝑞(ˆ𝑥 ∣𝑥)を与える組であって,各𝑥について∑ˆ𝑥∈ˆX𝑞(ˆ𝑥 ∣𝑥) =1を満たすもののことをいう.条件付き分布𝑞に対し,(𝑋,ˆ𝑋)を同時分布が𝑝(𝑥) 𝑞(ˆ𝑥 ∣𝑥)で与えられる対とし,その相互情報量(定義 1.3.1)を𝐼(𝑝;𝑞)と書き,その 期待歪み を
𝔼[𝑑(𝑋,ˆ𝑋)]=∑𝑥∈X ∑ˆ𝑥∈ˆX𝑝(𝑥)𝑞(ˆ𝑥∣𝑥)𝑑(𝑥,ˆ𝑥)と書く.期待歪みが𝐷以下である条件付き分布の全体をQ(𝐷)と書く.Q(𝐷)が空でないとき,レート歪み関数 の値を
𝑅(𝐷):=inf𝑞∈Q(𝐷)𝐼(𝑝;𝑞)で定める.
定義 9.1.5 が動かしているのは𝑞だけである.情報源の分布𝑝と歪み尺度𝑑は与えられていて動かせない.𝑞(ˆ𝑥 ∣𝑥)は「情報源が𝑥を出したときに再現としてˆ𝑥を出す確率」であり,∑𝑥,ˆ𝑥𝑝(𝑥)𝑞(ˆ𝑥 ∣𝑥) =∑𝑥𝑝(𝑥) =1だから,𝑝(𝑥)𝑞(ˆ𝑥 ∣𝑥)は確かにX ׈X上の分布である.期待歪みは,その分布のもとで𝑑を平均したものにほかならない.制約集合Q(𝐷)は「平均して𝐷以下の歪みしか出さない再現の作り方」の全体で,𝑅(𝐷)はその中で情報源と再現の結びつきをいちばん弱くしたときの,結びつきの強さである.記号𝐼(𝑝;𝑞)は第6章 定義 6.1.2 の𝐼(𝑝;𝑊)にならった.あちらが通信路を置いた位置に,こちらは再現の作り方𝑞を置く.𝑞を決めるごとに対(𝑋,ˆ𝑋)が定まるので,𝐼(𝑝;𝑞)は𝑞の関数である.
定義 9.1.5 が置いた記号に,いちばん小さい情報源で値を入れてみる.
例 9.1.6(二値情報源での二つの再現の作り方). X =ˆX ={0,1},𝑑を例 9.1.3 の Hamming 歪み𝑑𝐻とし,𝜋 ∈[0,1]について𝑝を𝑝(1) =𝜋,𝑝(0) =1 −𝜋で定まるX上の分布とする.Q( ⋅),𝐼(𝑝; ⋅),𝑅( ⋅)を定義 9.1.5 のとおりとする.どの𝑥 ∈Xについても𝑞0(0 ∣𝑥) :=1,𝑞0(1 ∣𝑥) :=0と定める組𝑞0と,ˆ𝑥 =𝑥のとき𝑞id(ˆ𝑥 ∣𝑥) :=1,そうでないとき𝑞id(ˆ𝑥 ∣𝑥) :=0と定める組𝑞idは,どちらも定義 9.1.5 の条件付き分布であり,次の三つが成り立つ(𝐻𝑏は例 1.1.2 の二値エントロピー関数).
- 𝑞0の期待歪みは𝜋であり,𝐼(𝑝;𝑞0) =0である.
- 𝑞idの期待歪みは0であり,𝐼(𝑝;𝑞id) =𝐻𝑏(𝜋)である.
- 実数𝐷について,𝐷 ≥0ならばQ(𝐷)は空でなく𝑅(𝐷) ≤𝐻𝑏(𝜋)であり,さらに𝐷 ≥𝜋ならば𝑅(𝐷) =0である.
証明. 𝑞0も𝑞idも値が非負で,どの𝑥についてもˆ𝑥にわたる和が1だから,条件付き分布である.
-
𝑞0に対応する同時分布は,ˆ𝑥 =0のとき𝑝(𝑥),ˆ𝑥 =1のとき0である.𝑑𝐻(0,0) =0と𝑑𝐻(1,0) =1より,定義 9.1.5 の期待歪みは𝑝(1) =𝜋である.この同時分布は,第1周辺分布𝑝と,0に1を置く第2周辺分布との積にほかならないから,𝑞0に対応する対(𝑋,ˆ𝑋)は独立であり,命題 1.3.2 より𝐼(𝑝;𝑞0) =0である.
-
𝑞idに対応する同時分布は,ˆ𝑥 =𝑥のとき𝑝(𝑥),そうでないとき0であり,二つの周辺分布はどちらも𝑝である.𝑑𝐻(𝑥,𝑥) =0だから期待歪みは0である.相互情報量を定義 1.3.1 で計算する.同時分布が正になるのはˆ𝑥 =𝑥かつ𝑝(𝑥) >0のときだけで,そこでの値は𝑝(𝑥),二つの周辺分布の積は𝑝(𝑥) 𝑝(𝑥)だから
𝐼(𝑝;𝑞id)=∑𝑥:𝑝(𝑥)>0𝑝(𝑥)log𝑝(𝑥)𝑝(𝑥)𝑝(𝑥)=−∑𝑥:𝑝(𝑥)>0𝑝(𝑥)log𝑝(𝑥)である.𝑝(𝑥) =0の項を0log0 =0と約束した定義 1.1.1 のもとで,右辺は−𝜋log𝜋 −(1 −𝜋)log(1 −𝜋),すなわち例 1.1.2 の𝐻𝑏(𝜋)に等しい.
- 𝑞idの期待歪みは0だから,𝐷 ≥0ならば𝑞id ∈Q(𝐷)であり,とくにQ(𝐷)は空でない.𝑅(𝐷)は値の集合{𝐼(𝑝;𝑞) :𝑞 ∈Q(𝐷)}の下限で,𝐻𝑏(𝜋) =𝐼(𝑝;𝑞id)はその元だから𝑅(𝐷) ≤𝐻𝑏(𝜋)である.𝐷 ≥𝜋ならば𝑞0の期待歪みも𝐷以下だから𝑞0 ∈Q(𝐷)であり,同じ理由で𝑅(𝐷) ≤𝐼(𝑝;𝑞0) =0である.いっぽう命題 1.3.2 よりこの値の集合のどの元も非負だから0はその下界であり,下限は下界のうち最大のものだから𝑅(𝐷) ≥0である.二つを合わせて𝑅(𝐷) =0を得る.
◼
二つは両極である.𝑞0は情報源を見ずにいつも0を出す作り方で,情報源との結びつきがまったく無い代わりに,1が出るたびに歪みを払う.𝑞idは情報源をそのまま写す作り方で,歪みを払わない代わりに,結びつきの強さが情報源のエントロピーいっぱいになる.どちらがQ(𝐷)に入るかは𝐷をどこに置くかで変わり,例 9.1.6 の第3の主張が言っているのは,𝐷が𝜋以上なら𝑞0も入って下限が0まで落ちる,ということである.𝐷をそれより小さくとったときに下限がどこにあるかは,本節では決めない.二値の情報源と Hamming 歪みについての答えは 9.3 節で与える.
なぜ最小にする量が相互情報量なのか,見当だけ先に書いておく.歪みを許さない第2章では,再現は𝑋そのものであり,そのときの結びつきの強さは𝐼(𝑋;𝑋) =𝐻(𝑋)である(1.3 節).第2章が要したレートもちょうど𝐻(𝑋)だった(定理 2.3.6).再現を𝑋からずらすことを許したとき,同じ量が𝐼(𝑋;ˆ𝑋)になる.歪みを許すなら,一つの番号に一つの系列を対応させるのではなく,一本の再現の列に,そこから歪みの小さい情報源の列をまとめて引き受けさせればよく,書き下す番号はそのぶん減る.どれだけ減るかの勘定は 9.6 節で書く.
ここまでは見当であって,符号の話は一つも入っていない.いまのところ𝑅(𝐷)は最適化問題の値でしかなく,第6章 定義 6.1.4 の通信路容量と同じ立場にある.したがって「歪みを𝐷以下に抑えるには1文字あたり𝑅(𝐷)ビットで済む」と言う資格は,9.4 節までの段階ではない.その資格を与えるのが 9.5 節と 9.6 節で,前者は歪みを𝐷以下に抑える符号のレートが𝑅(𝐷)を下回れないことを示す.後者は,期待歪みが𝐷より小さい再現の作り方があるかぎり,𝑅(𝐷)より大きいレートをとれば,長さを十分大きくとって歪みを𝐷以下に抑える符号が作れることを,一つの主張を借りて確かめる.
𝐷を小さくとりすぎるとQ(𝐷)は空になり,𝑅(𝐷)は定まらない.どこから空でなくなるかは,歪み尺度と情報源で決まる.
命題 9.1.7(制約集合が空でない歪み). XとˆXを空でない有限集合,𝑝をX上の分布,𝑑を歪み尺度(定義 9.1.1)とし,Q( ⋅)を定義 9.1.5 のとおりとする.実数𝐷について,Q(𝐷)が空でないのは
𝐷≥∑𝑥∈X𝑝(𝑥)minˆ𝑥∈ˆX𝑑(𝑥,ˆ𝑥)のとき,かつそのときに限る.
証明. ˆXは空でない有限集合だから,各𝑥についてˆ𝑥 ↦𝑑(𝑥,ˆ𝑥)の最小値は定まる.右辺の値を𝐷∗と書く.
𝐷 ≥𝐷∗ならばQ(𝐷)が空でないことを見る.各𝑥について𝑑(𝑥,ˆ𝑥)を最小にするˆ𝑥を一つ選び,選んだ点に1を,ˆXのほかの点に0を与える組を𝑞とする.値は非負で,各𝑥についてˆ𝑥にわたる和は1だから,𝑞は定義 9.1.5 の条件付き分布である.定義 9.1.5 の期待歪みの和で残るのは,各𝑥について選んだ点の項だけだから,その値は各𝑥での最小値を𝑝で平均したもの,すなわち𝐷∗である.𝐷∗ ≤𝐷だから𝑞 ∈Q(𝐷)であり,Q(𝐷)は空でない.
逆にQ(𝐷)が空でないとして,𝑞 ∈Q(𝐷)を一つとる.どの対(𝑥,ˆ𝑥)についても𝑑(𝑥,ˆ𝑥) ≥minˆ𝑥′∈ˆX𝑑(𝑥,ˆ𝑥′)であり,重み𝑝(𝑥) 𝑞(ˆ𝑥 ∣𝑥)は非負だから
∑𝑥,ˆ𝑥𝑝(𝑥)𝑞(ˆ𝑥∣𝑥)𝑑(𝑥,ˆ𝑥)≥∑𝑥,ˆ𝑥𝑝(𝑥)𝑞(ˆ𝑥∣𝑥)minˆ𝑥′∈ˆX𝑑(𝑥,ˆ𝑥′)=∑𝑥𝑝(𝑥)minˆ𝑥′∈ˆX𝑑(𝑥,ˆ𝑥′)=𝐷∗である(第1の等号は,各𝑥について∑ˆ𝑥𝑞(ˆ𝑥 ∣𝑥) =1であることによる).左辺は𝑞の期待歪みであり,𝑞 ∈Q(𝐷)よりこれは𝐷以下だから,𝐷 ≥𝐷∗である.◼
そこで本章の主張は,Q(𝐷)が空でないことを仮定に置くか,そうでないものは空でないこと自体を結論に含める.9.2 節は,𝐷 =0での値と,𝑅(𝐷)が0になる歪みの両方を扱う.
下限は最小値である
定義 9.1.5 は𝑅(𝐷)を下限として定めたが,実際には最小値である.示すには,制約集合が有界閉集合であることと,その上で𝐼(𝑝; ⋅)が連続であることの二つが要る.前者は制約の書き方から出る.後者は,一次結合・合成・有限和が連続性を保つという微積分の計算規則(これは既知とする)と,1.1 節で認めた𝜑(𝑡) = −𝑡log𝑡の[0,∞)上の連続性から組み立てる.そのうえで,最大値の存在を引き出すために次の一つを証明せずに借りる.
Weierstrass の最大値定理を借りる. 借りるのは「有限次元の実ベクトル空間の空でない有界閉集合の上の実数値連続関数は最大値をとる」という形である.当てる相手は,実ベクトル空間ℝX׈Xの部分集合である制約集合Q(𝐷)(定義 9.1.5)の上の,実数値関数𝑞 ↦ −𝐼(𝑝;𝑞)である.この借用に依存するのは命題 9.1.8 だけで,以降の節は命題 9.1.8 の結論だけを使う.第6章 6.1 節が通信路容量の達成(定理 6.1.5)のために借りたのと同じ定理である.本書はこの最大値定理を証明しないが,形式化されていないわけではない.命題 9.1.8 の形式化は,Mathlib にある無条件の機械検証済みのこの定理をそのまま呼び出しているからである.
命題 9.1.8. XとˆXを空でない有限集合,𝑝をX上の分布,𝑑を歪み尺度(定義 9.1.1),𝐷を実数とし,Q(𝐷),𝐼(𝑝; ⋅),𝑅(𝐷)を定義 9.1.5 のとおりとする.Q(𝐷)が空でないならば,𝐼(𝑝; ⋅)をQ(𝐷)の上で最小にする𝑞∗ ∈Q(𝐷)が存在し,𝑅(𝐷) =𝐼(𝑝;𝑞∗)である.
証明. Q(𝐷)の元は各(𝑥,ˆ𝑥)に実数を割り当てる組だから,Q(𝐷)は実ベクトル空間ℝX׈Xの部分集合である.これが有界閉集合であることを見る.各成分の非負性と,各𝑥についての∑ˆ𝑥𝑞(ˆ𝑥 ∣𝑥) =1から0 ≤𝑞(ˆ𝑥 ∣𝑥) ≤1なので有界である.Q(𝐷)を定める三つの条件(各成分が非負であること,各𝑥について和が1であること,期待歪みが𝐷以下であること)は,どれも𝑞の成分の一次式についての等式と不等式だから,Q(𝐷)は閉である.
𝑞 ↦𝐼(𝑝;𝑞)がQ(𝐷)の上で連続であることを見る.𝑞に対応する対(𝑋,ˆ𝑋)の同時分布は𝑝(𝑥)𝑞(ˆ𝑥 ∣𝑥),第1周辺分布は𝑝,第2周辺分布はˆ𝑥 ↦∑𝑥𝑝(𝑥)𝑞(ˆ𝑥 ∣𝑥)である.これに定理 1.3.4 を当てると𝐼(𝑝;𝑞) =𝐻(𝑋) +𝐻(ˆ𝑋) −𝐻(𝑋,ˆ𝑋)であり,定義 1.1.1 と定義 1.2.1 により三つの項は
𝐻(𝑋)=∑𝑥𝜑(𝑝(𝑥)),𝐻(ˆ𝑋)=∑ˆ𝑥𝜑(∑𝑥𝑝(𝑥)𝑞(ˆ𝑥∣𝑥)),𝐻(𝑋,ˆ𝑋)=∑𝑥,ˆ𝑥𝜑(𝑝(𝑥)𝑞(ˆ𝑥∣𝑥))と書ける(𝜑(𝑡) = −𝑡log𝑡は 1.1 節の記号である).第1項は𝑞を含まない定数であり,残る二つはどちらも,𝑞の成分の一次結合に𝜑を合成したものの有限和である.既知とした計算規則と,1.1 節で認めた𝜑の連続性により,𝑞 ↦𝐼(𝑝;𝑞)はQ(𝐷)の上で連続である.
最小値の存在に移る.−𝐼(𝑝; ⋅)も同じ理由でQ(𝐷)の上で連続だから,空でない有界閉集合の上のこの関数に,借りた Weierstrass の最大値定理を当てると,最大値を与える点𝑞∗が存在する.そこで𝐼(𝑝; ⋅)は最小値をとる.
最後に𝑅(𝐷) =𝐼(𝑝;𝑞∗)を見る.𝐼(𝑝;𝑞∗)は値の集合{𝐼(𝑝;𝑞) :𝑞 ∈Q(𝐷)}の下界であり,かつその集合の元でもある.下限は下界のうち最大のものだから,この二つから𝑅(𝐷) =𝐼(𝑝;𝑞∗)である.◼
命題 9.1.8 により,Q(𝐷)が空でないかぎり,以降は𝑅(𝐷)を最小値として扱ってよい.そのような𝐷ごとに,最小を与える条件付き分布𝑞∗が一つとれる,ということでもある.どの𝑞∗がとれるかは𝐷によって違い,𝐷を動かしたときに𝑅(𝐷)の値がどう動くかが次節の主題である.
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