9.4 ガウス情報源と逆注水
本節は,本章がここまで置いてきた有限アルファベットの約束の外に出る.9.1 節は情報源アルファベットも再現アルファベットも空でない有限集合としたが,実数値をとる情報源はその枠に入らない.例 9.1.4 の2乗歪みが枠の外にあるのと同じ理由である.そこで本節は,実数値の情報源についてレート歪み関数を定義し直す.置き換えるものは第7章がすでに用意している.有限アルファベットのエントロピーの代わりに微分エントロピー(定義 7.1.2)を,定義 1.3.1 の相互情報量の代わりに密度で書いた相互情報量(定義 7.5.4)を使えばよい.最小にする量も制約の形も,定義 9.1.5 とそのままの対応がつく.
先に断っておくことが一つある.9.5 節と 9.6 節が示す符号化定理は,どちらも有限アルファベットの情報源についてのものである.本節で定める量が符号のレートの限界でもあることを,本書は示さない.したがって本節の値は,第8章 8.2 節が𝐶(𝑃,𝑁)を定めた段階と同じく,いまのところ最適化問題の値でしかない.あちらは 8.4 節で符号についての意味を得た(系 8.4.2)が,本節の値については本書はその段を踏まない.
記号を一つ断っておく.本節に現れる𝜋は,2𝜋𝑒のような式に出てくる円周率である.9.3 節が二値情報源のパラメータに使った𝜋とは別の記号で,あちらが置いた引数の有無による見分け方の外にある.
ガウス情報源のレート歪み関数
定義 9.4.1(ガウス情報源のレート歪み関数). 𝜎2 >0,𝐷 >0とする.実数値確率変数の対(𝑋,ˆ𝑋)が 歪み𝐷以下の再現の対 であるとは,𝑋がN(0,𝜎2)(定義 7.2.1)に従い,次の四つが成り立つことをいう.
- ˆ𝑋は密度をもち,ℎ(ˆ𝑋)が定まる(定義 7.1.2).
- 対(𝑋,ˆ𝑋)は結合密度をもち(定義 7.1.1),ℎ(𝑋,ˆ𝑋)が定まる.
- 𝑋 −ˆ𝑋は密度をもち,ℎ(𝑋 −ˆ𝑋)が定まり,平均をもつ.
- 𝔼[(𝑋 −ˆ𝑋)2]が定まって𝐷以下である.
歪み𝐷以下の再現の対の全体をQN(𝐷)と書く.QN(𝐷)が空でないとき,分散𝜎2のガウス情報源のレート歪み関数 の値を
𝑅N(𝐷):=inf(𝑋,ˆ𝑋)∈QN(𝐷)𝐼(𝑋;ˆ𝑋)で定める(𝐼は定義 7.5.4 の相互情報量である).
定義 9.1.5 との対応は素直である.あちらが動かしたのは条件付き分布𝑞で,情報源の分布𝑝のほうは固定されていた.こちらが動かすのは対(𝑋,ˆ𝑋)で,第1成分の分布がN(0,𝜎2)に固定されている.あちらの期待歪みにあたるのが第4の条件で,あちらの制約集合Q(𝐷)にあたるのがQN(𝐷)である.違うのは第1から第3の条件で,これは量が定まるようにするための技術的な絞り込みである.定理 7.2.2 よりℎ(𝑋)は定まるから,第1と第2の条件を合わせると定理 7.5.6 の仮定が満たされ,QN(𝐷)のどの元についても𝐼(𝑋;ˆ𝑋)は定まって,その値はℎ(𝑋) +ℎ(ˆ𝑋) −ℎ(𝑋,ˆ𝑋)に等しい.第3の条件は,下界の証明で𝑋 −ˆ𝑋に定理 7.2.4 を当てるために要る.密度をもたない再現のほうが少ないレートで済むかどうかを,この定義が否定しているのではない.第8章 定義 8.2.1 が上限をとる範囲を絞ったのと同じ事情である.
道具を二つ借りる.どちらも既出の章が借りたものを,確率変数の言葉で引き直すだけである.一つめは第7章 7.2 節が借りた ガウス分布の基本性質,すなわちN(𝜇,𝜎2)(定義 7.2.1)に従う実数値確率変数の平均が𝜇,分散が𝜎2であることで,2乗の平均が𝜇2 +𝜎2であることはここから出る.二つめは第8章 8.1 節が借りた ガウス分布の畳み込み,すなわち独立でN(𝜇1,𝜎21)とN(𝜇2,𝜎22)に従う二つの実数値確率変数の和がN(𝜇1 +𝜇2, 𝜎21 +𝜎22)に従うことである.あちらは密度の形で述べたが,こちらは確率変数の形で使い,しかも差についても同じこと,すなわち差がN(𝜇1 −𝜇2, 𝜎21 +𝜎22)に従うことをあわせて借りる.当てる対象はどちらも本節に現れるガウス分布に従う実数値確率変数だけで,依存するのは命題 9.4.4 と命題 9.4.6 の証明である.畳み込みのほうは第16章 16.7 節 が確率変数の形のまま引き直しており,そちらが当てる対象は 16.7 節 と 16.8 節 に現れるガウス分布に従う実数値確率変数,依存するのは第16章の例 16.7.9 と命題 16.8.1 の証明である.ただしあちらが引くのは和についてだけで,差については引かないので,引く形は本節の宣言より狭い.
差への置き換え
下界の証明は,情報源と再現の対(𝑋,ˆ𝑋)を,再現と食い違い𝑋 −ˆ𝑋の対に取り替えるところから始まる.9.3 節が二値の場合に食い違いを表す確率変数を置いたのと同じ手である.取り替えても結合微分エントロピーが変わらないことを,先に見ておく.変わらない理由は絵で言える.この取り替えは平面のせん断であって面積を変えないので,密度の値の並び方もそのままだからである.ただし第1成分に第2成分が混じるので,第7章 7.3 節が借りた成分ごとの置換積分には含まれない.そこで一つ借りる.
平面の差への置き換えを借りる. 借りるのは二つの形である.一つめは置換積分で,ℝ2上の実数値関数𝑢について
∫ℝ2𝑢(𝑥,ˆ𝑥)𝑑𝑥𝑑ˆ𝑥=∫ℝ2𝑢(𝑤+ˆ𝑥, ˆ𝑥)𝑑𝑤𝑑ˆ𝑥であり,一方が絶対収束すればもう一方も絶対収束する.二つめは密度の側の対応で,(𝑋,ˆ𝑋)が結合密度𝐹(定義 7.1.1)をもつならば(𝑋 −ˆ𝑋, ˆ𝑋)は結合密度をもってその一つが(𝑤,ˆ𝑥) ↦𝐹(𝑤 +ˆ𝑥, ˆ𝑥)であり,逆に(𝑉,ˆ𝑋)が結合密度𝐺をもつならば(𝑉 +ˆ𝑋, ˆ𝑋)は結合密度をもってその一つが(𝑥,ˆ𝑥) ↦𝐺(𝑥 −ˆ𝑥, ˆ𝑥)である,という形である.当てる対象は,本節に現れるℝ2上の結合密度と,それに対数を掛けた関数と,その絶対値だけであり,依存するのは補題 9.4.2 の証明だけである.密度の側もあわせて借りるのは,この置き換えが直方体を直方体に送らないので,定義 7.1.1 が直方体の確率で密度を定めたやり方からはそのまま読み取れないからである.本書はこの二つを証明しない.一つめの置換積分は,平面の測度を変えない写像であるという形で,Mathlib に無条件の機械検証済みの定理として置かれている.二つめの密度の側は,同じ主張を述べた単独の宣言が,結論の形で探しても見つからない.
補題 9.4.2(差への置き換えでの結合微分エントロピーの不変性). 𝑋とˆ𝑋を実数値確率変数とする.対(𝑋,ˆ𝑋)が結合密度をもつことと,対(𝑋 −ˆ𝑋, ˆ𝑋)が結合密度をもつこととは同値である.そのとき,ℎ(𝑋,ˆ𝑋)が定まることとℎ(𝑋 −ˆ𝑋, ˆ𝑋)が定まることとは同値であり,定まるならば
ℎ(𝑋−ˆ𝑋, ˆ𝑋)=ℎ(𝑋,ˆ𝑋)である.
証明. (𝑋,ˆ𝑋)が結合密度𝐹をもつとすると,借りた差への置き換えの密度の側より(𝑋 −ˆ𝑋, ˆ𝑋)は結合密度をもち,その一つは𝐹∗(𝑤,ˆ𝑥) :=𝐹(𝑤 +ˆ𝑥, ˆ𝑥)である.逆に(𝑋 −ˆ𝑋, ˆ𝑋)が結合密度をもつとすると,𝑉 :=𝑋 −ˆ𝑋とおけば𝑉 +ˆ𝑋 =𝑋だから,同じ借用の後半より(𝑋,ˆ𝑋)は結合密度をもつ.これで第1の同値を得る.
以下𝐹と𝐹∗を上のとおりとする.借りた差への置き換えの置換積分を𝑢(𝑥,ˆ𝑥) :=|𝐹(𝑥,ˆ𝑥)log𝐹(𝑥,ˆ𝑥)|に当てると
∫ℝ2∣𝐹∗(𝑤,ˆ𝑥)log𝐹∗(𝑤,ˆ𝑥)∣𝑑𝑤𝑑ˆ𝑥=∫ℝ2∣𝐹(𝑥,ˆ𝑥)log𝐹(𝑥,ˆ𝑥)∣𝑑𝑥𝑑ˆ𝑥である.よって一方が有限であることと他方が有限であることとは同値で,定義 7.1.2 により,ℎ(𝑋,ˆ𝑋)が定まることとℎ(𝑋 −ˆ𝑋, ˆ𝑋)が定まることとは同値である.定まるとき,同じ差への置き換えの置換積分を𝑢 :=𝐹log𝐹に当てれば符号を付けた積分も等しく,定義 7.1.2 より二つの結合微分エントロピーは等しい.◻
下界
定理 9.4.3(ガウス情報源についての相互情報量の下界). 𝜎2 >0,𝐷 >0とし,QN( ⋅)を定義 9.4.1 のとおりとする.(𝑋,ˆ𝑋) ∈QN(𝐷)ならば
𝐼(𝑋;ˆ𝑋)≥12log𝜎2𝐷である.
証明. 𝑉 :=𝑋 −ˆ𝑋とおく.定義 9.4.1 の第2の条件と補題 9.4.2 より,(𝑉,ˆ𝑋)は結合密度をもち,ℎ(𝑉,ˆ𝑋)は定まってℎ(𝑋,ˆ𝑋)に等しい.
対(𝑉,ˆ𝑋)に劣加法性を当てる.定義 9.4.1 の第3の条件よりℎ(𝑉)が定まり,第1の条件よりℎ(ˆ𝑋)が定まり,いま見たとおりℎ(𝑉,ˆ𝑋)も定まるから,定理 7.4.3 を2個の確率変数の組に当てると
ℎ(𝑋,ˆ𝑋)=ℎ(𝑉,ˆ𝑋)≤ℎ(𝑉)+ℎ(ˆ𝑋)である.
ℎ(𝑉)を上から抑える.定義 9.4.1 の第3の条件より𝑉は密度をもち,ℎ(𝑉)は定まり,平均をもつ.その分散は𝔼[𝑉2] −𝔼[𝑉]2で𝔼[𝑉2]以下であり,第4の条件よりこれは𝐷以下である.𝐷 >0だから,定理 7.2.4 をその主張の𝜎2を𝐷ととって当ててℎ(𝑉) ≤12log(2𝜋𝑒𝐷)である.
相互情報量に直す.定理 7.2.2 よりℎ(𝑋)は定まって12log(2𝜋𝑒𝜎2)であり,定義 9.4.1 の第1と第2の条件と合わせて定理 7.5.6 の仮定が満たされるから
𝐼(𝑋;ˆ𝑋)=ℎ(𝑋)+ℎ(ˆ𝑋)−ℎ(𝑋,ˆ𝑋)≥ℎ(𝑋)+ℎ(ˆ𝑋)−ℎ(𝑉)−ℎ(ˆ𝑋)=ℎ(𝑋)−ℎ(𝑉)である.よって
𝐼(𝑋;ˆ𝑋)≥12log(2𝜋𝑒𝜎2)−12log(2𝜋𝑒𝐷)=12log𝜎2𝐷を得る.◼
証明で歪みの制約が効いたのは一か所だけで,食い違い𝑋 −ˆ𝑋の分散を𝐷で抑えるところである.散らばりを抑えられた分布の微分エントロピーには上限があり(定理 7.2.4),その上限が12log(2𝜋𝑒𝐷)である.9.3 節の二値の情報源では「食い違いの不確かさは𝐻𝑏(𝐷)を超えない」という段だったところが,そのまま「12log(2𝜋𝑒𝐷)を超えない」に置き換わっている.差し引かれる相手が情報源だけで決まる定数ℎ(𝑋)であることも,9.3 節で𝐻(𝑋) =𝐻𝑏(𝜋)が条件付き分布によらなかったのと同じである.
逆向きの構成と達成
順向きに作るとどうなるかを,先に見ておく.いちばん素直に思いつくのは,情報源𝑋にN(0,𝐷)に従う雑音を独立に足して再現ˆ𝑋を作る向きである.この作り方では下界に届かない.計算は命題 9.4.4 と同じ筋で,違うのは足す向きだけなので,ここでは順にたどらずに結果だけを言う.歪みは目標どおりちょうど𝐷になり,相互情報量は12log(1 +𝜎2/𝐷)になる.1 +𝜎2/𝐷は𝜎2/𝐷より大きいから,補題 8.2.5 よりこの値は定理 9.4.3 の下界12log(𝜎2/𝐷)より大きい.順向きに作ると損をする,ということである.
達成の側も 9.3 節と同じ形になる.定理 9.4.3 の証明で不等号が入ったのは,定理 7.4.3 の劣加法性を当てたところと,定理 7.2.4 で食い違いの微分エントロピーを抑えたところである.前者は,食い違いが再現と独立であれば等号になる(系 7.4.4).後者は,食い違いが分散𝐷のガウス分布に従えば等号になる(系 7.2.5).どちらの条件も,再現ˆ𝑋を先に置き,そこにN(0,𝐷)に従う雑音を独立に足して情報源𝑋を作れば,作った時点で満たされる.残るのは,こうしてできた𝑋の分布がN(0,𝜎2)になるように,ˆ𝑋の分散を選ぶことだけである.
命題 9.4.4(下界を達成する対). 𝜎2 >0,0 <𝐷 <𝜎2とする.ˆ𝑋と𝑉を独立な実数値確率変数で,ˆ𝑋がN(0, 𝜎2 −𝐷)に,𝑉がN(0,𝐷)に従うもの(定義 7.2.1)とし,𝑋 :=ˆ𝑋 +𝑉とおく.このとき𝑋はN(0,𝜎2)に従い,対(𝑋,ˆ𝑋)はQN(𝐷)に属し(QN( ⋅)は定義 9.4.1 のとおり),𝔼[(𝑋 −ˆ𝑋)2] =𝐷かつ
𝐼(𝑋;ˆ𝑋)=12log𝜎2𝐷である.
証明. 0 <𝐷 <𝜎2より𝜎2 −𝐷 >0だから,N(0,𝜎2 −𝐷)は定義 7.2.1 の意味で定まる.借りたガウス分布の畳み込みより,𝑋 =ˆ𝑋 +𝑉はN(0, (𝜎2 −𝐷) +𝐷),すなわちN(0,𝜎2)に従う.
定理 7.2.2 よりℎ(ˆ𝑋),ℎ(𝑉),ℎ(𝑋)はどれも定まって
ℎ(ˆ𝑋)=12log(2𝜋𝑒(𝜎2−𝐷)),ℎ(𝑉)=12log(2𝜋𝑒𝐷),ℎ(𝑋)=12log(2𝜋𝑒𝜎2)である.とくに定義 9.4.1 の第1の条件が成り立つ.
第2の条件を見る.ˆ𝑋と𝑉は独立で,どちらも密度をもち微分エントロピーが定まるから,系 7.4.4 を対(𝑉,ˆ𝑋)に当てると,(𝑉,ˆ𝑋)は結合密度をもち,ℎ(𝑉,ˆ𝑋)は定まってℎ(𝑉) +ℎ(ˆ𝑋)に等しい.𝑋 −ˆ𝑋 =𝑉だから,補題 9.4.2 より(𝑋,ˆ𝑋)も結合密度をもち,ℎ(𝑋,ˆ𝑋)は定まってℎ(𝑉,ˆ𝑋)に等しい.
第3と第4の条件を見る.𝑋 −ˆ𝑋 =𝑉はN(0,𝐷)に従うから密度をもち,定理 7.2.2 よりℎ(𝑉)は定まり,借りたガウス分布の基本性質より平均0をもって𝔼[𝑉2] =0 +𝐷 =𝐷である.よって(𝑋,ˆ𝑋) ∈QN(𝐷)であり,𝔼[(𝑋 −ˆ𝑋)2] =𝐷である.
相互情報量を求める.いま確かめた条件から定理 7.5.6 の仮定が満たされ
𝐼(𝑋;ˆ𝑋)=ℎ(𝑋)+ℎ(ˆ𝑋)−ℎ(𝑋,ˆ𝑋)=ℎ(𝑋)+ℎ(ˆ𝑋)−ℎ(𝑉)−ℎ(ˆ𝑋)=ℎ(𝑋)−ℎ(𝑉)である.右辺は12log(2𝜋𝑒𝜎2) −12log(2𝜋𝑒𝐷)で,12log(𝜎2/𝐷)に等しい.◼
系 9.4.5(ガウス情報源のレート歪み関数の値). 𝜎2 >0,0 <𝐷 ≤𝜎2とし,QN( ⋅)と𝑅N( ⋅)を定義 9.4.1 のとおりとする.このときQN(𝐷)は空でなく
𝑅N(𝐷)=12log𝜎2𝐷である.
証明. まず𝑅N(𝐷) ≤12log(𝜎2/𝐷)を見る.𝐷 <𝜎2のときは,命題 9.4.4 よりQN(𝐷)は空でなく,𝐼(𝑋;ˆ𝑋) =12log(𝜎2/𝐷)を満たす元をもつ.𝑅N(𝐷)は値の集合{𝐼(𝑋;ˆ𝑋) :(𝑋,ˆ𝑋) ∈QN(𝐷)}の下限だから,この元をとって不等式を得る.
𝐷 =𝜎2のときは,この値を与える元を命題 9.4.4 からは直接とれないので,値をいくらでも0に近づける元でまかなう.𝜀 >0を任意にとり,𝐷′ :=𝜎2 2−2𝜀とおくと0 <𝐷′ <𝜎2である.命題 9.4.4 を𝐷′に当てて得られる対(𝑋,ˆ𝑋)は𝔼[(𝑋 −ˆ𝑋)2] =𝐷′を満たし,これは𝜎2以下だから,定義 9.4.1 の第4の条件は𝐷 =𝜎2についても成り立つ.残る三つの条件は𝐷を含まないので,この対はQN(𝜎2)にも属する.とくにQN(𝜎2)は空でない.その相互情報量は12log(𝜎2/𝐷′) =12log22𝜀 =𝜀だから𝑅N(𝜎2) ≤𝜀であり,𝜀は任意だから𝑅N(𝜎2) ≤0 =12log(𝜎2/𝜎2)である.
逆向きはどちらの場合も同じである.定理 9.4.3 より値の集合のどの元も12log(𝜎2/𝐷)以上だから,12log(𝜎2/𝐷)は下界であり,下限はそれ以上である.二つを合わせて等号を得る.◼
命題 9.4.6. 𝜎2 >0とし,𝐷を𝐷 >𝜎2を満たす実数とし,QN( ⋅)と𝑅N( ⋅)を定義 9.4.1 のとおりとする.このときQN(𝐷)は空でなく𝑅N(𝐷) =0である.
証明. 𝑋をN(0,𝜎2)に従う実数値確率変数とし,ˆ𝑋を𝑋と独立でN(0, 𝐷 −𝜎2)に従う実数値確率変数とする(𝐷 >𝜎2より分散は正である).
定理 7.2.2 よりℎ(𝑋)とℎ(ˆ𝑋)は定まるから,定義 9.4.1 の第1の条件が成り立つ.系 7.4.4 を対(𝑋,ˆ𝑋)に当てると,(𝑋,ˆ𝑋)は結合密度をもち,ℎ(𝑋,ˆ𝑋)は定まってℎ(𝑋) +ℎ(ˆ𝑋)に等しく,第2の条件も成り立つ.借りたガウス分布の畳み込みの差についての形より𝑋 −ˆ𝑋はN(0, 𝜎2 +(𝐷 −𝜎2)),すなわちN(0,𝐷)に従うから,密度をもち,定理 7.2.2 よりℎ(𝑋 −ˆ𝑋)は定まり,借りたガウス分布の基本性質より平均0をもって𝔼[(𝑋 −ˆ𝑋)2] =𝐷である.よって第3と第4の条件も成り立ち,(𝑋,ˆ𝑋) ∈QN(𝐷)で,QN(𝐷)は空でない.
定理 7.5.6 より𝐼(𝑋;ˆ𝑋) =ℎ(𝑋) +ℎ(ˆ𝑋) −ℎ(𝑋,ˆ𝑋) =0である.同じ定理よりQN(𝐷)のどの元でも𝐼(𝑋;ˆ𝑋) ≥0だから,0は値の集合の下界であり,かつその元でもある.よって下限は0である.◼
これで𝐷 >0のすべての点で値が決まったことになるが,𝐷 =𝜎2のちょうどの点だけは,二つの作り方のどちらも届いていない.命題 9.4.4 の作り方はˆ𝑋の分散が𝜎2 −𝐷なので𝐷 <𝜎2でしか使えず,命題 9.4.6 の作り方はˆ𝑋の分散が𝐷 −𝜎2なので𝐷 >𝜎2でしか使えない.分散0のガウス分布が定義 7.2.1 の外にあるからである.それでも値が決まるのは,歪みを𝜎2まで許してよいなら𝐷 <𝜎2用の対をそのまま使ってよいからで,系 9.4.5 の証明はこの点だけ,相互情報量を0にいくらでも近づける対で下限を押さえている.
両端で確かめる. 右の端では,系 9.4.5 の値12log(𝜎2/𝐷)が𝐷 =𝜎2でちょうど0になり,そこから先を扱う命題 9.4.6 の値とつながる.左の端は 9.3 節と様子が違う.二値の情報源では𝐷 =0でも𝑅(0) =𝐻𝑏(𝜋)という有限の値だった(定理 9.3.4)が,こちらは𝐷を小さくすると12log(𝜎2/𝐷)がいくらでも大きくなる.実数を有限の精度で読み取った値のエントロピーが,精度を上げると発散する(定理 7.1.6)ことと向きが合っている.定義 9.4.1 が𝐷 >0を課しているのも,𝐷 =0をこの枠で扱えないからである.
規模感. 𝐷 =𝜎2/4,すなわち食い違いの2乗の平均を情報源の分散の1/4まで許すなら,系 9.4.5 の値は12log24 =1ビットである.𝜎2/100まで絞ると12log2100 =3.3219…ビットになる.歪みを半分にするたびに12log22 =0.5ビットずつ増える,という増え方である.効くのは比の対数であって,比そのものではない.第8章 8.1 節でガウス通信路の運ぶ量が信号対雑音比の対数で決まったのと,同じ形である.
歪みを配る
情報源が一つとは限らない.たがいに独立な𝑛個のガウス情報源があって,分散が情報源ごとに違うとする.全体の歪みを𝐷以下に抑えたいとき,どの情報源にどれだけの歪みを割り当てるのがよいか.第8章 8.6 節が並列ガウス通信路について,限られた総電力をどう配るかを問うたのと,同じ形の問いである.ただし向きが逆になる.あちらは電力を配って対数の和を最大にし,こちらは歪みを配って対数の和を最小にする.
記号を二つ断っておく.本節の𝑛は並列に並べる情報源の個数で,定義 9.1.2 がブロックの長さに使った𝑛とは別である.情報源の番号は本節に限り1から𝑛までとする.水位は第8章 8.6 節と同じく𝜈と書く.
定義 9.4.7(並列ガウス情報源と歪み配分). 𝑛 ≥1とし,𝜎21,…,𝜎2𝑛を正の実数とする.分散がそれぞれ𝜎21,…,𝜎2𝑛である𝑛個のガウス情報源,すなわちN(0,𝜎2𝑖)(定義 7.2.1)に従う情報源を,たがいに独立に並べたものを 並列ガウス情報源 と呼ぶ.合計歪み𝐷 >0の制約のもとでの 歪み配分 とは,𝐷𝑖 >0(1 ≤𝑖 ≤𝑛)かつ∑𝑛𝑖=1𝐷𝑖 ≤𝐷を満たす実数の組(𝐷1,…,𝐷𝑛)のことをいう.その 合計レート を
𝑛∑𝑖=1max(0, 12log𝜎2𝑖𝐷𝑖)で定める.
合計レートの各項は,第𝑖情報源だけを歪み𝐷𝑖で再現するときのレート歪み関数の値である.𝐷𝑖 ≤𝜎2𝑖なら系 9.4.5 によりその値は12log(𝜎2𝑖/𝐷𝑖)で,対数の中身が1以上だからこれは0以上であり,maxはその値を返す.𝐷𝑖 >𝜎2𝑖なら命題 9.4.6 により値は0で,対数の中身が1より小さいので12log(𝜎2𝑖/𝐷𝑖)は負であり,maxはやはり0を返す.maxは,この二つの場合を一つの式に畳んでいる.和の形になっているのは,𝑛個の情報源を別々に扱う勘定だからである.𝑛個をまとめて一つの情報源とみなしたときのレート歪み関数を本書は定義しないので,合計レートは各情報源のレート歪み関数の値を足したものとしてだけ読む.
定義 9.4.8(逆注水配分). 𝑛 ≥1とし,𝜎21,…,𝜎2𝑛を正の実数,𝜈を実数とする.
𝐷∗𝑖(𝜈):=min(𝜈, 𝜎2𝑖)(1≤𝑖≤𝑛)で定まる組を,水位 𝜈の 逆注水配分 と呼ぶ.
名前の由来は絵にある.底が平らな一続きの容器を思い,横幅を𝑛等分した第𝑖の区画に,高さ𝜎2𝑖のところでふたをする.そこに水を注ぐと,ふたに届いていない区画では水面が同じ高さ𝜈でそろい,ふたに届いた区画(𝜎2𝑖 ≤𝜈)ではふたの高さで止まる.第𝑖の区画に入る水の深さはどちらの場合もmin(𝜈,𝜎2𝑖)で,これが第𝑖情報源に配る歪みにあたる.ふたまでの高さのうち水に浸かっていない部分𝜎2𝑖 −min(𝜈,𝜎2𝑖)が,符号で送る部分である.したがって,ふたまで水で満たされた区画とは,分散をそのまま歪みとして払って何も送らない区画のことである.
この絵は第8章 8.6 節の絵の裏返しで,裏返っているのは二つである.一つめは水の意味で,あちらの水は配る電力だったが,こちらの水は捨てる歪みである.二つめは底の段がふたに変わったことである.あちらは,底が段になった容器の第𝑖の区画の底の高さを雑音の分散𝑁𝑖にとり,水面𝜈までの深さmax(0,𝜈 −𝑁𝑖)をその通信路に配る電力と読んだ(定義 8.6.2).こちらは底が平らで,代わりに高さ𝜎2𝑖のふたが区画ごとの違いを担う.配らない区画の出かたも裏返る.あちらでは底が水面より上に出た区画に電力を配らなかったが,こちらではふたまで水で満たされた区画にレートを配らない.
水面がそろうところが最適なのはなぜか,を絵の言葉で言っておく.以下では,対数の導関数が(log𝑒)/𝑡であることを微積分の計算規則として既知とする.当てる相手は,この段落で12log(𝜎2𝑖/𝐷𝑖)を𝐷𝑖で微分するところだけである.第𝑖情報源に配る歪みをほんの少し増やすと,合計レートの第𝑖項は歪み1単位あたりlog𝑒2𝐷𝑖だけ減る(12log(𝜎2𝑖/𝐷𝑖) =12log𝜎2𝑖 −12log𝐷𝑖を𝐷𝑖で微分すればよい).分母が配った歪みそのものなので,水の浅い区画ほど,歪みを1単位足したときに減るレートが大きい.任意の配分は,区画のあいだに仕切りを立てて水面の高さをばらばらにした状態にあたり,仕切りを外すと水面がそろう,と見ればよい.水面の高い区画から水面の低い区画へ歪みを少し移せば,増えるぶんより減るぶんが大きく,合計レートは減る.移して得をする組がなくなるのは,ふたに届いていない区画の水面がすべてそろい,しかもふたまで満たされた区画がそれ以上の歪みを受け取らないときで,これが逆注水配分の形にほかならない.そこでは,ふたに届いていないどの区画でも減り方が同じlog𝑒2𝜈になる.このlog𝑒2𝜈が,あとで補題 9.4.10 が下から抑えるのに使う接線の傾きである.
水位の存在と一意性
道具を一つ借りる.中間値の定理,すなわち「有界閉区間の上の実数値連続関数は,両端での値のあいだのどの値もとる」という微積分の定理である.当てる相手は,定理 9.4.9 の証明で置く1変数の実数値関数𝜓(𝜈) =∑𝑛𝑖=1min(𝜈,𝜎2𝑖)の,有界閉区間[0, max𝑖𝜎2𝑖]への制限だけであり,依存するのは定理 9.4.9 の証明だけである.第8章 8.6 節が水位の存在(定理 8.6.3)のために借りたのと同じ定理である.また,連続関数の有限個の最小値と有限和がふたたび連続であることを,微積分の計算規則として既知とする.
定理 9.4.9(水位の存在と一意性). 𝑛 ≥1とし,𝜎21,…,𝜎2𝑛を正の実数,𝐷を0 <𝐷 <∑𝑛𝑖=1𝜎2𝑖を満たす実数とする.このとき
𝑛∑𝑖=1min(𝜈, 𝜎2𝑖)=𝐷を満たす実数𝜈がただ一つ存在し,それは0 <𝜈 <max1≤𝑖≤𝑛𝜎2𝑖を満たす.
証明. 𝜓(𝜈) :=∑𝑛𝑖=1min(𝜈,𝜎2𝑖),𝜈1 :=max1≤𝑖≤𝑛𝜎2𝑖とおく.各𝜈 ↦min(𝜈,𝜎2𝑖)は連続関数の最小値だから連続であり,その有限和である𝜓も連続である.
両端の値を見る.𝜎2𝑖 >0より𝜓(0) =∑𝑖min(0,𝜎2𝑖) =0である.どの𝑖でも𝜈1 ≥𝜎2𝑖だから𝜓(𝜈1) =∑𝑖𝜎2𝑖であり,仮定よりこれは𝐷より大きい.
𝜓は閉区間[0,𝜈1]の上で連続で,𝜓(0) =0 <𝐷 <𝜓(𝜈1)だから,借りた中間値の定理より𝜓(𝜈) =𝐷を満たす𝜈 ∈[0,𝜈1]が存在する.
解の位置を見る.𝜈 ≤0ならば,どの𝑖でも𝜈 ≤0 <𝜎2𝑖だからmin(𝜈,𝜎2𝑖) =𝜈で,𝜓(𝜈) =𝑛𝜈 ≤0 <𝐷である.𝜈 ≥𝜈1ならば𝜓(𝜈) =∑𝑖𝜎2𝑖 >𝐷である.よって𝜓(𝜈) =𝐷を満たす実数はすべて0 <𝜈 <𝜈1を満たす.
一意性を見る.0 ≤𝜈𝑎 <𝜈𝑏 ≤𝜈1とする.各𝑖についてmin(𝜈𝑎,𝜎2𝑖) ≤min(𝜈𝑏,𝜎2𝑖)である.最大を与える番号を𝑖1(𝜎2𝑖1 =𝜈1)とすると,𝜈𝑎 <𝜈𝑏 ≤𝜎2𝑖1だから第𝑖1項の二つの値は𝜈𝑎と𝜈𝑏に等しい.項ごとに足し合わせると𝜓(𝜈𝑏) −𝜓(𝜈𝑎) ≥𝜈𝑏 −𝜈𝑎 >0である.よって𝜓は[0,𝜈1]の上で狭義単調増加であり,そこで値𝐷をとる実数は一つしかない.解はすべてこの区間に入るので,𝜓(𝜈) =𝐷を満たす実数はただ一つである.◼
逆注水の最適性
最適性の証明も,第8章 8.6 節と同じ道具ひとつで通る.補題 1.1.7 の対数不等式log𝑢 ≤(𝑢 −1)log𝑒である.逆注水配分の点で対数に接線を引き,そのぶんだけ下から抑える.それを述べるのが補題 9.4.10 である.
補題 9.4.10(逆注水配分での接線). 𝜎2 >0,𝜈 >0とし,𝐷∗ :=min(𝜈,𝜎2)とおく.このとき,どの実数𝑡 >0についても
max(0, 12log𝜎2𝑡)≥max(0, 12log𝜎2𝐷∗)−log𝑒2𝜈(𝑡−𝐷∗)である.
証明. 場合分けの形は第8章 補題 8.6.4 と同じである.どちらも水位𝜈と分散(あちらは雑音の𝑁,こちらは情報源の𝜎2)の大小で二つに分け,どちらの場合も 1.1 節の対数不等式ひとつで済む.違うのは抑える向きと,こちらでは左辺のmaxを別に扱うところである.
まず,どの𝑠 >0と𝑡 >0についても成り立つ不等式を用意する.補題 1.1.7 の対数不等式log𝑢 ≤(𝑢 −1)log𝑒を𝑢 :=𝑡/𝑠に当てるとlog(𝑡/𝑠) ≤𝑡−𝑠𝑠log𝑒であり,両辺の符号を変えてlog(𝑠/𝑡) ≥ −𝑡−𝑠𝑠log𝑒を得る.12log(𝜎2/𝑡) −12log(𝜎2/𝑠) =12log(𝑠/𝑡)だから
12log𝜎2𝑡≥12log𝜎2𝑠−log𝑒2𝑠(𝑡−𝑠)である.𝜈と𝜎2の大小で場合を分ける.
𝜈 <𝜎2のときは𝐷∗ =𝜈である.𝜎2/𝜈 >1より12log(𝜎2/𝜈) >0で,主張の右辺のmaxはこの値を返す.用意した不等式を𝑠 :=𝜈ととって使うと
12log𝜎2𝑡≥12log𝜎2𝜈−log𝑒2𝜈(𝑡−𝜈)である.12log(𝜎2/𝑡)はmax(0,12log(𝜎2/𝑡))以下だから,主張の不等式を得る.
𝜈 ≥𝜎2のときは𝐷∗ =𝜎2で,12log(𝜎2/𝐷∗) =12log1 =0だから,主張の右辺のmaxは0を返し,示すべきことは
max(0, 12log𝜎2𝑡)≥−log𝑒2𝜈(𝑡−𝜎2)である.𝑡 ≥𝜎2ならば右辺は0以下で左辺は0以上だから成り立つ.𝑡 <𝜎2とする.用意した不等式を𝑠 :=𝜎2ととって使うと,12log(𝜎2/𝜎2) =0だから
12log𝜎2𝑡≥−log𝑒2𝜎2(𝑡−𝜎2)=log𝑒2⋅𝜎2−𝑡𝜎2である.0 <𝜎2 ≤𝜈と𝜎2 −𝑡 >0より𝜎2−𝑡𝜎2 ≥𝜎2−𝑡𝜈だから,右辺はlog𝑒2 ⋅𝜎2−𝑡𝜈以上で,これは−log𝑒2𝜈(𝑡 −𝜎2)に等しい.12log(𝜎2/𝑡)はmax(0,12log(𝜎2/𝑡))以下だから,主張の不等式を得る.◻
定理 9.4.11(逆注水配分の最適性). 𝑛 ≥1とし,𝜎21,…,𝜎2𝑛を正の実数,𝐷 >0を実数とする.実数𝜈が∑𝑛𝑖=1min(𝜈,𝜎2𝑖) =𝐷を満たすとする.このとき逆注水配分(𝐷∗1(𝜈),…,𝐷∗𝑛(𝜈))は合計歪み𝐷の制約のもとでの歪み配分(定義 9.4.7)であり,𝐷′𝑖 >0(1 ≤𝑖 ≤𝑛)かつ∑𝑛𝑖=1𝐷′𝑖 ≤𝐷を満たすどの実数の組(𝐷′1,…,𝐷′𝑛)についても
𝑛∑𝑖=1max(0, 12log𝜎2𝑖𝐷′𝑖)≥𝑛∑𝑖=1max(0, 12log𝜎2𝑖𝐷∗𝑖(𝜈))である(𝐷∗𝑖(𝜈)は定義 9.4.8 の逆注水配分).
証明. まず𝜈 >0を見る.仮定の和は𝐷 >0だから,ある𝑖でmin(𝜈,𝜎2𝑖) >0であり,とくに𝜈 >0である.したがって各𝐷∗𝑖(𝜈) =min(𝜈,𝜎2𝑖)は正であり,総和は仮定よりちょうど𝐷で,𝐷以下である.よって逆注水配分は定義 9.4.7 の歪み配分の条件を満たす.
各項に補題 9.4.10 を,𝜎2 :=𝜎2𝑖,𝑡 :=𝐷′𝑖ととって当てると,𝐷∗ =𝐷∗𝑖(𝜈)であり
max(0, 12log𝜎2𝑖𝐷′𝑖)≥max(0, 12log𝜎2𝑖𝐷∗𝑖(𝜈))−log𝑒2𝜈(𝐷′𝑖−𝐷∗𝑖(𝜈))である.𝑖について足すと
𝑛∑𝑖=1max(0, 12log𝜎2𝑖𝐷′𝑖)≥𝑛∑𝑖=1max(0, 12log𝜎2𝑖𝐷∗𝑖(𝜈))−log𝑒2𝜈(𝑛∑𝑖=1𝐷′𝑖−𝑛∑𝑖=1𝐷∗𝑖(𝜈))となる.仮定より∑𝑖𝐷∗𝑖(𝜈) =𝐷であり,∑𝑖𝐷′𝑖 ≤𝐷だから括弧の中は0以下である.𝜈 >0とlog𝑒 >0より係数log𝑒2𝜈は正だから,右辺の最後の項は0以上であり,これを落とすと右辺は小さくなる.よって主張を得る.◼
証明で効いたのは,第8章 定理 8.6.5 のときと同じ二つである.接線の傾きがlog𝑒2𝜈という𝑖によらない一つの値であること(補題 9.4.10)と,逆注水配分が歪みの予算をちょうど使い切っていること(∑𝑖𝐷∗𝑖(𝜈) =𝐷)である.前者があるので,𝑛個ぶんの接線の項が∑𝑖𝐷′𝑖という一つの和にまとまる.後者があるので,その和が歪みの制約と直接くらべられる.分散が水位を超えない情報源(𝜎2𝑖 ≤𝜈)で接線の傾きがそのままでは足りないところは,補題 9.4.10 の第2の場合がlog𝑒2𝜎2𝑖 ≥log𝑒2𝜈で吸収している.
定理 9.4.11 が言っているのはここまでで,合計レートという一つの式を歪み配分について最小にすると逆注水配分が最小を与える,ということである.合計レートの最小値が,𝑛個をまとめた情報源について何かを言うわけではない.第8章 8.6 節が合計容量について同じ断りを置いたのと,同じ事情である.
数で見る
例 9.4.12(2個の並列ガウス情報源). 𝑛 =2,𝜎21 =1,𝜎22 =4とする.合計歪み𝐷 =1のとき水位は𝜈 =1/2で,逆注水配分は(1/2, 1/2),その合計レートは2ビットである.分散に比例させた配分(1/5, 4/5)の合計レートは約2.3219ビットで,これより大きい.合計歪み𝐷 =3のときは水位が𝜈 =2で,逆注水配分は(1, 2),その合計レートは1/2ビットであり,等分した配分(3/2, 3/2)の合計レートは約0.7075ビットである.
証明. 𝐷 =1のとき.水位が第1の区画のふたの高さ1に届かないと見当をつけると,どちらの区画にも水面までの水が入るので𝜈 +𝜈 =1,すなわち𝜈 =1/2である.これは1以下だから見当と整合する.実際min(1/2,1) +min(1/2,4) =1/2 +1/2 =1で定理 9.4.9 の等式を満たし,それを満たす実数はただ一つだから,これが水位である.逆注水配分は(1/2,1/2)で,どちらの項も対数の中身が1より大きく,対数は正だから,maxはその値を返す.合計レートは12log22 +12log28 =0.5 +1.5 =2である.分散に比例させた配分では,二つの項の対数の中身がどちらも5だから,合計レートはlog25 =2.3219…である.
𝐷 =3のとき.今度は水位が1を超えると見当をつけると,第1の区画はふたまで満たされるので1 +𝜈 =3,すなわち𝜈 =2である.これは1より大きく4以下だから見当と整合する.実際min(2,1) +min(2,4) =1 +2 =3で,これが水位である.逆注水配分は(1,2)で,第1項は12log21 =0だからmaxは0を返し,第2項は12log22 =1/2である.合計レートは1/2である.等分した配分では,第1項の対数の中身が2/3で1より小さく,その対数は負だからmaxは0を返す.第2項は12log283 =12 ×1.4150… =0.7075…である.◼
例 9.4.12 の前半は,どの情報源にも歪みを配る場合である.水位1/2がどちらのふたの高さにも届かないので,二つの区画に同じ深さの水が入る.配る歪みは同じでも,レートは分散の大きいほうに多く配られている(1.5ビット対0.5ビット).後半では合計歪みが3に増えて水位が2まで上がり,ふたの高さが1の区画は水で満たされる.そこにはレートを配らず,分散1のぶんの歪みをそのまま払う.第8章 8.6 節で雑音の強すぎる通信路に電力を配らなかったのと,裏返しの同じことが起きている.逆注水配分と,比べた配分との合計レートの差は,前半が約0.32ビット,後半が約0.21ビットである.
ここまでで,レート歪み関数の形が二つの具体例で決まった.9.3 節の二値の情報源では,歪みが𝐷maxに届かない範囲で𝐻𝑏(𝜋) −𝐻𝑏(𝐷)であり(定理 9.3.4),本節のガウス情報源では,歪みが分散を超えない範囲で12log(𝜎2/𝐷)である(系 9.4.5).どちらもまだ最適化問題の値である.9.5 節は歪みを𝐷以下に抑える符号のレートが𝑅(𝐷)を下回れないことを示し,9.6 節は,期待歪みが𝐷より小さい再現の作り方があるかぎり,𝑅(𝐷)より大きいレートをとれば,長さを十分大きくとって歪みを𝐷以下に抑える符号が作れることを,一つの主張を借りて確かめる.どちらも 9.1 節の約束どおり,有限アルファベットの情報源についての主張である.
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