15.2 対数最適ポートフォリオ
第5章 定理 5.2.1 は,倍加率を最大にする賭け金の配分が真の分布そのもの,すなわち比例賭けであることを示した.証明は短く,二つの倍加率の差をとるとオッズの項が引き算で消え,相対エントロピーが残る,というものだった.市場ではこの計算が動かない.資産倍率が𝑚個の項の和になったので,倍加率の差が相対エントロピーの形に落ちないからである.本書は市場について,最大を与えるポートフォリオを閉じた式では与えず,代わりに二つのことを示す.一つは倍加率がポートフォリオについて凹であること,もう一つは,最大を与えるポートフォリオが𝑚本の不等式で言い表せることである.
積が和に変わったために,第5章から消えるものもある.本章の市場にはオッズにあたる量がないので,公平なオッズ(定義 5.3.3)や胴元の取り分(命題 5.3.6)に対応する概念も出てこない.第5章 定理 5.3.1 の保存則,すなわち比例賭けの倍加率と勝ち馬のエントロピーの和がオッズと分布だけで決まる量になるという等式についても,本書は市場にあたるものを与えない.あの等式は,比例賭けの1レースの倍率が分布の値とオッズの積であることを使い,その対数を二つに割ったところから出てくる.市場の資産倍率は積ではなく𝑚項の和である.
倍加率は凹である
定理 15.2.1(倍加率の凹性). 𝑚 ≥1とし,Xを株価比(定義 15.1.1)からなる空でない有限集合,𝑝をX上の分布とする.𝑏0,𝑏1をポートフォリオ(定義 15.1.2),𝜆を0 ≤𝜆 ≤1を満たす実数とし,𝑏𝜆(𝑗) :=(1 −𝜆) 𝑏0(𝑗) +𝜆 𝑏1(𝑗)(𝑗 =1,…,𝑚)とおく.このとき𝑏𝜆はポートフォリオであり,倍加率(定義 15.1.4)について
𝑊(𝑏𝜆,𝑝)≥(1−𝜆)𝑊(𝑏0,𝑝)+𝜆𝑊(𝑏1,𝑝)が成り立つ.
証明. まず𝑏𝜆がポートフォリオであることを見る.𝑏0(𝑗) ≥0,𝑏1(𝑗) ≥0で1 −𝜆 ≥0,𝜆 ≥0だから𝑏𝜆(𝑗) ≥0であり,総和は(1 −𝜆)∑𝑗𝑏0(𝑗) +𝜆∑𝑗𝑏1(𝑗) =(1 −𝜆) +𝜆 =1である.
𝑥 ∈Xを一つ固定し,𝑠0 :=∑𝑚𝑗=1𝑏0(𝑗) 𝑥(𝑗),𝑠1 :=∑𝑚𝑗=1𝑏1(𝑗) 𝑥(𝑗)とおく.補題 15.1.5 よりどちらも正である.𝑏𝜆の資産倍率は
𝑚∑𝑗=1𝑏𝜆(𝑗)𝑥(𝑗)=(1−𝜆)𝑠0+𝜆𝑠1であり,正の二数𝑠0,𝑠1の凸結合になっている.補題 1.1.6 のlogの狭義凹性を,この2点に当てると
log((1−𝜆)𝑠0+𝜆𝑠1)≥(1−𝜆)log𝑠0+𝜆log𝑠1を得る.両辺に𝑝(𝑥) ≥0を掛けて𝑥について足せば,定義 15.1.4 より主張の不等式になる.◼
山が一つであること. 凹性が言っているのは,二つのポートフォリオを混ぜたものの倍加率が,混ぜる前の二つの倍加率を同じ重みで混ぜた値を下回らない,すなわち弦がグラフの下に来るということである.山が二つに割れることがないので,全体の最大がどこかを,その場で確かめられる条件だけで言い当てられる見込みが出てくる.凹関数では,どの向きに少し動かしても値が上がらない点が,そのまま全体の最大点になるからである.第5章では最大を与える配分が比例賭けだと分かっていたので,この見込みに頼る必要がなかった.市場では最大を与えるものを直に指す式がないので,代わりに,最大であることの目印を作ることになる.目印そのものは 定理 15.2.4 と 定理 15.2.5 が与える.そこで並ぶ𝑚本の不等式は,銘柄𝑗の向きへ少し動かしても値が上がらない,という条件を𝑚通りの向きについて書き並べたものである.定理 15.2.5 の証明が実際にその向きへ動かしており,定理 15.2.4 は逆に,𝑚本がそろえば全体の最大であることを示す.ただし 定理 15.2.4 の証明が直に使うのは 補題 1.1.9 であって,倍加率の凹性そのものではない.凹性はここで,𝑚本の不等式という形の目印を探してよい,という見通しを与えている.
最大は達成される
Weierstrass の最大値定理を借りる. 借りるのは「有限次元の実ベクトル空間の空でない有界閉集合の上の実数値連続関数は最大値をとる」という形である.当てる対象は,実ベクトル空間ℝ𝑚の部分集合であるポートフォリオ全体の上の実数値関数で,直接当てるのは 命題 15.2.2 の証明と,後知恵の最良の資産が達成されることを見る 命題 15.8.5 の証明の二つだけである.本章のほかの主張は,この二つを経由してのみこの定理に依存する.第6章 6.1 節が通信路容量の達成(定理 6.1.5)のために,第9章 9.1 節がレート歪み関数の下限が最小値であること(命題 9.1.8)のために,第11章 11.5 節が Chernoff 情報の達成(命題 11.5.7)のために借りたのと同じ定理である.本書はこの最大値定理を証明しないが,形式化されていないわけではない.第6章 定理 6.1.5 の形式化が,Mathlib にある無条件の機械検証済みのこの定理をそのまま呼び出している.あわせて,微積分の計算規則(一次結合・商・合成・有限和が連続性を保つこと)を既知とする.
命題 15.2.2. 𝑚 ≥1とし,Xを株価比(定義 15.1.1)からなる空でない有限集合,𝑝をX上の分布とする.このとき,どのポートフォリオ(定義 15.1.2)𝑏についても𝑊(𝑏,𝑝) ≤𝑊(𝑏∘,𝑝)を満たすポートフォリオ𝑏∘が存在する(𝑊は 定義 15.1.4 の倍加率である).
証明. ポートフォリオ全体は,1から𝑚までの番号に実数を割り当てる組の集合,すなわち実ベクトル空間ℝ𝑚の部分集合である.𝑚 ≥1だから銘柄1に全額を寄せた組が入っていて空ではなく,どのポートフォリオでも0 ≤𝑏(𝑗) ≤1だから有界であり,定義 15.1.2 の条件が成分についての等式と不等式で書けているから閉である.
𝑊( ⋅,𝑝)の連続性に移る.𝑥 ∈Xを固定すると,𝑏 ↦∑𝑚𝑗=1𝑏(𝑗) 𝑥(𝑗)は成分の一次結合だから連続で,その値は 補題 15.1.5 より正である.logは(0,∞)の上で連続である.𝑡 >0ではlog𝑡 = −𝜑(𝑡)/𝑡と書けるから(𝜑(𝑡) = −𝑡log𝑡は 1.1 節の記号である),補題 1.1.8 の𝜑の[0,∞)上の連続性と商の法則からそれが出る.合成が連続性を保つことから𝑏 ↦log∑𝑗𝑏(𝑗) 𝑥(𝑗)は連続で,非負の重み𝑝(𝑥)を掛けた有限和も連続だから,𝑊( ⋅,𝑝)はポートフォリオ全体の上で連続である.
空でない有界閉集合の上の連続関数だから,借りた Weierstrass の最大値定理より𝑊( ⋅,𝑝)はそこで最大値をとる.それを与えるポートフォリオを𝑏∘とすればよい.◼
定義 15.2.3(対数最適ポートフォリオ). 𝑚 ≥1とし,Xを株価比(定義 15.1.1)からなる空でない有限集合,𝑝をX上の分布とする.どのポートフォリオ(定義 15.1.2)𝑏についても𝑊(𝑏,𝑝) ≤𝑊(𝑏∗,𝑝)を満たすポートフォリオ𝑏∗を,この市場の 対数最適ポートフォリオ と呼ぶ(𝑊は 定義 15.1.4 の倍加率である).命題 15.2.2 よりそのような𝑏∗は存在する.本書はその一意性を述べないので,以下𝑏∗と書くときは,そのようなものを一つ選んだものとする.
一意にならない市場は実際にある.どの株価比のもとでも同じ倍率を返す銘柄が二つあれば,その二つへの配分をどう分け直しても資産倍率が変わらず,したがって倍加率も変わらないからである.
Kuhn–Tucker 条件
Xを株価比(定義 15.1.1)からなる空でない有限集合,𝑝をX上の分布,𝑏∘をポートフォリオ(定義 15.1.2)とする.𝑗 ∈{1,…,𝑚}ごとの
∑𝑥∈X𝑝(𝑥)𝑥(𝑗)∑𝑚𝑘=1𝑏∘(𝑘)𝑥(𝑘)≤1という𝑚本の不等式を Kuhn–Tucker 条件 と呼ぶ.銘柄𝑗についての行の左辺は,銘柄𝑗に全額を寄せたときの資産倍率𝑥(𝑗)を𝑏∘の資産倍率で割った比の,分布𝑝による平均である.すなわちこの行は,𝑏∘から銘柄𝑗に丸ごと乗り換えたときの1期の資産の比が,平均として1を超えない,と言っている.
定理 15.2.4(Kuhn–Tucker 条件の十分性). 𝑚 ≥1とし,Xを株価比(定義 15.1.1)からなる空でない有限集合,𝑝をX上の分布,𝑏∘をポートフォリオ(定義 15.1.2)とする.すべての𝑗 ∈{1,…,𝑚}について
∑𝑥∈X𝑝(𝑥)𝑥(𝑗)∑𝑚𝑘=1𝑏∘(𝑘)𝑥(𝑘)≤1が成り立つならば,どのポートフォリオ𝑏についても𝑊(𝑏,𝑝) ≤𝑊(𝑏∘,𝑝)である(𝑊は 定義 15.1.4 の倍加率である).すなわち𝑏∘は 定義 15.2.3 の対数最適ポートフォリオである.
証明. 𝑥 ∈Xについて𝑠(𝑥) :=∑𝑚𝑘=1𝑏∘(𝑘) 𝑥(𝑘),𝑟(𝑥) :=∑𝑚𝑗=1𝑏(𝑗) 𝑥(𝑗)とおく.補題 15.1.5 よりどちらも正である.定義 15.1.4 より
𝑊(𝑏,𝑝)−𝑊(𝑏∘,𝑝)=∑𝑥∈X𝑝(𝑥)(log𝑟(𝑥)−log𝑠(𝑥))=∑𝑥∈X𝑝(𝑥)log𝑟(𝑥)𝑠(𝑥)である.
補題 1.1.9 を,凹関数としてlog(補題 1.1.6 による),重みとして𝑝(𝑥),点として𝑡𝑥 :=𝑟(𝑥)/𝑠(𝑥)ととって当てる.どの𝑡𝑥も正だからlogの定義域に入っており,重みは非負で総和が1だから
∑𝑥∈X𝑝(𝑥)log𝑟(𝑥)𝑠(𝑥)≤log(∑𝑥∈X𝑝(𝑥)𝑟(𝑥)𝑠(𝑥))を得る.
内側の和を並べ替える.𝑟(𝑥) =∑𝑗𝑏(𝑗) 𝑥(𝑗)を代入して和の順序を入れ替えると
∑𝑥∈X𝑝(𝑥)𝑟(𝑥)𝑠(𝑥)=𝑚∑𝑗=1𝑏(𝑗)∑𝑥∈X𝑝(𝑥)𝑥(𝑗)𝑠(𝑥)≤𝑚∑𝑗=1𝑏(𝑗)=1である(不等号は𝑏(𝑗) ≥0と仮定の𝑚本の不等式による).いっぽう𝑝は分布だから正の値をとる𝑥があり,どの項も非負だから,この和は正である.したがってこの和は0より大きく1以下であり,対数の単調性(補題 8.2.5)よりその対数はlog1 =0以下である.上の二つを合わせて𝑊(𝑏,𝑝) −𝑊(𝑏∘,𝑝) ≤0を得る.◼
行が𝑚本あることを読む. 行が𝑚本あるのは乗り換え先が𝑚通りあるからで,どの一つに丸ごと乗り換えても得をしないなら,どんな混ぜ方に乗り換えても得をしない,というのが 定理 15.2.4 の中身である.左辺が真に1を下回る行もありうる.例 15.2.7 がその実物である.
逆向きも成り立つ.次の証明では,実数𝑢について𝜆 ↓0のときlog(1 +𝜆𝑢)/𝜆 →𝑢log𝑒となるという微積分の初等規則を既知とする.あわせて,有限個の項の和の極限が各項の極限の和であることと,極限が広義の不等号を保つことも既知とする.
定理 15.2.5(Kuhn–Tucker 条件の必要性). 𝑚 ≥1とし,Xを株価比(定義 15.1.1)からなる空でない有限集合,𝑝をX上の分布とする.ポートフォリオ(定義 15.1.2)𝑏∘が,どのポートフォリオ𝑏についても𝑊(𝑏,𝑝) ≤𝑊(𝑏∘,𝑝)を満たすならば,すべての𝑗 ∈{1,…,𝑚}について
∑𝑥∈X𝑝(𝑥)𝑥(𝑗)∑𝑚𝑘=1𝑏∘(𝑘)𝑥(𝑘)≤1である(𝑊は 定義 15.1.4 の倍加率である).
証明. 𝑗を一つ固定する.銘柄𝑗に全額を寄せたポートフォリオ,すなわち番号𝑗に1を返しほかの番号に0を返す関数は,成分が非負で総和が1だからポートフォリオである.0 <𝜆 ≤1に対して,𝑏∘とこれとを重み1 −𝜆と𝜆で混ぜたものを𝑏𝜆と書く.すなわち𝑏𝜆(𝑗) =(1 −𝜆) 𝑏∘(𝑗) +𝜆であり,𝑘 ≠𝑗では𝑏𝜆(𝑘) =(1 −𝜆) 𝑏∘(𝑘)である.定理 15.2.1 より𝑏𝜆もポートフォリオである.
𝑥 ∈Xを固定し,𝑠(𝑥) :=∑𝑚𝑘=1𝑏∘(𝑘) 𝑥(𝑘)とおく.補題 15.1.5 より𝑠(𝑥) >0である.𝑏𝜆の資産倍率は
𝑚∑𝑘=1𝑏𝜆(𝑘)𝑥(𝑘)=(1−𝜆)𝑠(𝑥)+𝜆𝑥(𝑗)=𝑠(𝑥)(1+𝜆𝑢𝑥),𝑢𝑥:=𝑥(𝑗)𝑠(𝑥)−1である.左辺はポートフォリオの資産倍率だから正であり,𝑠(𝑥) >0とあわせて1 +𝜆 𝑢𝑥 >0である.したがって 定義 15.1.4 より
𝑊(𝑏𝜆,𝑝)−𝑊(𝑏∘,𝑝)=∑𝑥∈X𝑝(𝑥)log(1+𝜆𝑢𝑥)となる.
𝑏∘の最適性からこの値は0以下である.両辺を𝜆 >0で割って
∑𝑥∈X𝑝(𝑥)log(1+𝜆𝑢𝑥)𝜆≤0を得る.Xは有限だから,𝜆 ↓0として借りた初等規則を各項に当てると,左辺はlog𝑒∑𝑥∈X𝑝(𝑥) 𝑢𝑥に収束する.極限は広義の不等号を保つのでlog𝑒∑𝑥𝑝(𝑥) 𝑢𝑥 ≤0であり,底は1より大きいからlog𝑒 >0で,∑𝑥𝑝(𝑥) 𝑢𝑥 ≤0である.𝑢𝑥の定義と∑𝑥𝑝(𝑥) =1を使えば,これは主張の不等式にほかならない.◼
定理 15.2.4 と 定理 15.2.5 を合わせると,ポートフォリオが 定義 15.2.3 の対数最適ポートフォリオであることと Kuhn–Tucker 条件を満たすこととは同じである.第5章で比例賭けという一つの式が担っていた役を,市場では𝑚本の不等式が担う.これは最適なポートフォリオを教える式ではなく,与えられたポートフォリオが最適かどうかを確かめる手続きである.次の二つの例では,その手続きが計算だけで済むことを見る.
では,確かめる相手はどこから来るのか.例 15.1.6 の市場は銘柄が二つなので,ポートフォリオは銘柄2への配分𝛽ひとつで決まる.この𝛽は,第11章 11.4 節 の第二種の誤り確率とも,第3章 例 3.1.5 の二状態のマルコフ情報源の遷移確率とも別である.後者は 例 15.6.4 が本章に引き継ぐので,本章には二つの意味の𝛽が並ぶ.資産倍率は上向きで1 +𝛽,下向きで1 −𝛽/2である.倍加率は12log(1 +𝛽) +12log(1 −𝛽/2) =12log((1 +𝛽)(1 −𝛽/2))だから,補題 8.2.5 の単調性より,中身の
(1+𝛽)(1−𝛽2)=−12(𝛽−12)2+98を0 ≤𝛽 ≤1の範囲で最大にする𝛽を探せばよく,それは𝛽 =1/2である.次の例では,こうして見当をつけた1/2が Kuhn–Tucker 条件を満たすことを確かめる.
例 15.2.6(現金と一つの株の対数最適ポートフォリオ). 例 15.1.6 の市場で𝑏∗(1) =𝑏∗(2) =1/2とおくと,𝑏∗は 定義 15.2.3 の対数最適ポートフォリオであり,𝑗 =1についても𝑗 =2についても
∑𝑥∈X𝑝(𝑥)𝑥(𝑗)∑2𝑘=1𝑏∗(𝑘)𝑥(𝑘)=1である.
証明. 例 15.1.6 の計算より,𝑏∗の資産倍率は𝑥↑で3/2,𝑥↓で3/4である.𝑗 =1では𝑥↑(1) =𝑥↓(1) =1だから,左辺は12 ⋅13/2 +12 ⋅13/4 =13 +23 =1である.𝑗 =2では𝑥↑(2) =2,𝑥↓(2) =1/2だから,左辺は12 ⋅23/2 +12 ⋅1/23/4 =23 +13 =1である.どちらも1以下だから,定理 15.2.4 より𝑏∗は対数最適ポートフォリオである.◼
例 15.2.7(買わない銘柄). 例 15.1.6 の市場に,株価比がつねに0.9である銘柄3を足す.すなわち𝑚 =3とし,𝑥↑(1) =1,𝑥↑(2) =2,𝑥↑(3) =0.9,𝑥↓(1) =1,𝑥↓(2) =1/2,𝑥↓(3) =0.9とおいて,X ={𝑥↑,𝑥↓},𝑝(𝑥↑) =𝑝(𝑥↓) =1/2とする.このとき𝑏∗(1) =𝑏∗(2) =1/2,𝑏∗(3) =0は 定義 15.2.3 の対数最適ポートフォリオであり,
∑𝑥∈X𝑝(𝑥)𝑥(𝑗)∑3𝑘=1𝑏∗(𝑘)𝑥(𝑘)の値は𝑗 =1と𝑗 =2については1,𝑗 =3については0.9である.
証明. 𝑏∗(3) =0だから資産倍率は 例 15.1.6 と同じで,𝑥↑で3/2,𝑥↓で3/4である.したがって𝑗 =1と𝑗 =2の値は 例 15.2.6 の計算がそのまま使えて,どちらも1である.𝑗 =3では𝑥↑(3) =𝑥↓(3) =0.9だから,値は12 ⋅0.93/2 +12 ⋅0.93/4 =0.9(13 +23) =0.9である.三つとも1以下だから,定理 15.2.4 より𝑏∗は対数最適ポートフォリオである.◼
銘柄3は,どの期にも資産をきっかり0.9倍にする.例 15.2.7 の対数最適ポートフォリオはこれを買わない.例 15.2.6 では買っている二つの銘柄の行がどちらも等号になり,例 15.2.7 では,買っている二つの銘柄の行が等号で,買っていない銘柄の行だけが1を下回っている.どちらの例でも Kuhn–Tucker 条件を確かめるのに要ったのは,資産倍率を二つの株価比について計算して割り算をすることだけである.最大化の問題を解かずに最適だと言い切れる,これが 定理 15.2.4 の使い道である.ただしこの二つでは,確かめる相手を用意するほうも放物線の頂点を探すだけで済んでいた.頂点を探す手が当たらない市場では,確かめる手続きのほうだけが残る.節の終わりの 例 15.2.9 がそれである.
買っている銘柄の行に等号が立ったのは,どちらの例でも偶然ではない.
系 15.2.8(持っている銘柄での等号). 𝑚 ≥1とし,Xを株価比(定義 15.1.1)からなる空でない有限集合,𝑝をX上の分布,𝑏∘をポートフォリオ(定義 15.1.2)とする.すべての𝑗 ∈{1,…,𝑚}について
∑𝑥∈X𝑝(𝑥)𝑥(𝑗)∑𝑚𝑘=1𝑏∘(𝑘)𝑥(𝑘)≤1が成り立つならば,𝑏∘(𝑗) >0を満たすどの𝑗 ∈{1,…,𝑚}についても,この不等式は等号で成り立つ.
証明. 𝑥 ∈Xについて𝑠(𝑥) :=∑𝑚𝑘=1𝑏∘(𝑘) 𝑥(𝑘)とおく.補題 15.1.5 より𝑠(𝑥) >0である.銘柄𝑗の行の左辺を𝑐𝑗と書く.𝑐𝑗に𝑏∘(𝑗)を掛けて𝑗について足し,和の順序を入れ替えると
𝑚∑𝑗=1𝑏∘(𝑗)𝑐𝑗=∑𝑥∈X𝑝(𝑥)∑𝑚𝑗=1𝑏∘(𝑗)𝑥(𝑗)𝑠(𝑥)=∑𝑥∈X𝑝(𝑥)=1である(第2の等号は∑𝑚𝑗=1𝑏∘(𝑗) 𝑥(𝑗) =𝑠(𝑥)による).定義 15.1.2 より∑𝑚𝑗=1𝑏∘(𝑗) =1だから,これは
𝑚∑𝑗=1𝑏∘(𝑗)(1−𝑐𝑗)=0と書き直せる.仮定より1 −𝑐𝑗 ≥0であり,𝑏∘(𝑗) ≥0だから各項は非負である.非負の有限個の項の和が0になるのは,どの項も0のときに限る.よって𝑏∘(𝑗) >0なら1 −𝑐𝑗 =0である.◼
これで Kuhn–Tucker 条件は,𝑚本のばらばらな検査ではなく一枚の絵になる.行の左辺を,その銘柄に丸ごと乗り換えたときの1期の資産の比の平均と読めば,持っている銘柄の値はどれもちょうど1,すなわち互いに等しく,持っていない銘柄の値はそれ以下だということである.最適なポートフォリオは,配分している銘柄のあいだで乗り換えの得失を釣り合わせている.
見当のつけ方のほうに戻る.例 15.2.6 で頂点が探せたのは,二つの株価比の確率が等しく,倍加率が12log((1 +𝛽)(1 −𝛽/2))と,対数の中の放物線一つに畳めたからである.確率が偏るとこの畳み方はできない.上向きの確率を9/10にすると倍加率は110log((1 +𝛽)9(1 −𝛽/2))となり,対数の中は10次の多項式で,頂点という言い方が当たらない.代わりに,上向きが10回に9回なのだから全額を株に寄せてみよう,と見当をつけて,Kuhn–Tucker 条件で確かめる.
例 15.2.9(端に寄る対数最適ポートフォリオ). 例 15.1.6 の二つの株価比𝑥↑,𝑥↓をとり,分布だけを取り替える.すなわち𝑚 =2,X ={𝑥↑,𝑥↓},𝑥↑(1) =𝑥↓(1) =1,𝑥↑(2) =2,𝑥↓(2) =1/2とし,𝑝(𝑥↑) =9/10,𝑝(𝑥↓) =1/10とする.このとき全額を銘柄2に寄せたポートフォリオ𝑏∗,すなわち𝑏∗(1) =0,𝑏∗(2) =1は 定義 15.2.3 の対数最適ポートフォリオであり,
∑𝑥∈X𝑝(𝑥)𝑥(𝑗)∑2𝑘=1𝑏∗(𝑘)𝑥(𝑘)の値は𝑗 =1について13/20,𝑗 =2について1である.その倍加率(定義 15.1.4)は𝑊(𝑏∗,𝑝) =4/5である.
証明. 𝑏∗の資産倍率は,𝑥↑で𝑥↑(2) =2,𝑥↓で𝑥↓(2) =1/2である.𝑗 =1では𝑥↑(1) =𝑥↓(1) =1だから,値は910 ⋅12 +110 ⋅11/2 =920 +15 =1320である.𝑗 =2では910 ⋅22 +110 ⋅1/21/2 =910 +110 =1である.どちらも1以下だから,定理 15.2.4 より𝑏∗は対数最適ポートフォリオである.倍加率は 定義 15.1.4 より910log2 +110log12 =910 −110 =45である.◼
例 15.2.9 の対数最適ポートフォリオは現金をまったく持たない.銘柄2への配分を0から1まで動かしたときの最大が,動かせる範囲の端で起きているということである.例 15.2.6 の𝛽 =1/2は範囲の内側にあって,そこでは二つの行がどちらも等号だった.ここで買っている銘柄は一つだけなので,系 15.2.8 が等号を要求するのもその一行だけで,現金の行は13/20にとどまる.現金に丸ごと乗り換えたときの1期の資産の比は平均して13/20である,というのがこの一行の意味である.
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